夜明け前

　剣をふるう、腕がきしむ。疲労で弱くなった指の力を補うよう、必死で力を込めて柄を握る。
　地面がたわむ。……それは相手の攻撃によるものか、それとも自分のひざが揺れているのか。

　乱れる息を、心拍を、整えることもできず、全てをはっきりと認識する余裕すらないまま、私は戦っていた。

　（誰と？)

　疑問が形になるより早く、その答え……敵が、目の前の世界を覆い、姿を現す。

　燃えさかる炎のような赤と、鋼鉄のごとき固さのウロコに覆われた、巨大な身体。牛すら一飲みにできるほどの大きな口には、岩壁をも砕く鋭い牙が並んでいる。
　その背に抱いた巨大な翼はあらゆる場所を自由に舞い、四肢についた爪はいかな生物をも瞬時に引き裂くだろう。

　(……赤き竜。)

　忘れようにも忘れられない、あの凶悪な瞳。人の思いつく限りの破壊力を、生まれながらに持ったかのようなその姿。
　……さらに悪いことにこの生物は、その破壊力をあますことなく使いこなす凶悪な意志と、魔道や呪術にさえ通ずる深い知識を持っていた。

　(……そう、私はこの竜と戦った。故郷を食らいつくすがために現れた、この竜と。だが……)

　目が、かすんだ。……無数の傷にも、そこから湧き出る血と痛みにも、強い気持ちで耐え抜いて来たが、命の源たる赤い水を失った身体の方が、もう戦うことを許そうとしない。

　(……駄目だ！)

　心の叫びとは裏腹に、私のひざは、地面に落ちる。
　……その瞬間を、あの竜が見逃すはずがなかった。

　(駄目だ！このままでは……！)

　竜の瞳が、笑みを浮かべた。その口が、大きく開く。

　(動け、動いてよけるんだ！そうしないと……！)

　竜の口からあふれた、赤い光。そして、ほぼ同時に。

　(……あいつが……！)

　……黒い影が、私の前に立ちふさがった。

　……影は、あいつは、私に向けられた炎を、す べ て そ の 身 に う け て ……。

　(……っ！
　　――――――――！)

　……親友の名を呼ぶ自分の声で、レオンは目を覚ました。

　見慣れぬ宿の天井を見た途端、現実に戻ったと気づき、同時に、体中から嫌な汗が流れ出すのを感じる。

　「……夢、か」

　身体を起こし、深いため息をついた。
　……あたりはまだ暗い。おそらく、夜明けまでにはまだ随分と間があるのだろう。

　「……まったく、高い宿になど、泊まるものではないな」

　レオンはもう一度深いため息をついて、清潔な外観を保たれた天井を見上げる。

　……普段は、あまり夢を見ることはない。
　そもそも、冒険者の大半は、ほとんどの日々を野宿か、床や地面に布をひいただけの安宿で過ごすからだ。ゆっくりと夢を見るほど身体を休められること自体、まずない。
　特に、彼のように相棒を持たない冒険者は、寝込みを襲おうとする魔物や、ともすれば追いはぎと化す安宿の主人などにも、自分一人で注意を払わなければならないから、なおさらだ。

　だが今回は、たまたま退治した魔物に従者をやられ、立ち往生していた富豪一家を街まで送ることになり、その結果、こうして途中で宿に泊まる羽目になってしまったのだ。

　「そのおかげで、見たくもない夢を見ることになった。まったく……」

　レオンは眉をひそめながら、汗で張り付いた前髪を苛立たしげにかきあげた。……だが、その苛立ちの原因が彼らでないことは、レオン自身、よくわかっている。
　
　あの日……十年前、あの凶悪な竜と戦った日。
　戦い半ばで自分は力尽き、そんな自分を親友はかばった。
　……そこで一度、レオンの意識は途切れる。
　
　そして目が覚めたとき、そこにはもう、何もなかった。赤い竜も、親友の姿も。
　ただ、親友の身につけていたマント以外は、何も。

　……それ以来、見る夢といえば、あの時のことばかりだ。
　始まりや流れは違っても、結末はいつも、あの凶悪な竜から親友が自分をかばい、消えることで終わる。

　……夢を見るたび、レオンは自分の無力感と喪失感に打ちのめされるのだ。

　レオンは三度目の深いため息をつくと、サイドテーブルに置かれた水をあおった。乾いた身体に水がしみこみ、ほんの少し、落ち着きを取り戻す。
　
　『落ちついた、レオン？』

　不意に、親友の声が頭をよぎった。
　思い出してもつらくなるだけだ、と普段は封じている記憶。
　だが、夢の中でそっと開いてしまった記憶の水門は、すぐに閉じることができず、レオンはゆるりと記憶の泉に浸っていく。

　……レオンが親友と会ったのは、ほんの偶然だった。
　ある日、既に冒険者となっていたレオンは、街のギルドで、魔物退治の依頼を受けた。

　彼はそのころ、一日も早く、自分の理想とする英雄に近づきたいと思っていた。
　……だが、腕はあっても、その盲目ともいえるほどの一途さは、時に自分勝手と取られ、周りに誤解されることも多く、何より、彼はその誤解を解く術を持たなかった。
　自分が正しいと思う気持ち、その理由を、人に伝えるのが苦手だったのだ。
　……結果、実力の割に、思うように評判が上がらず、彼は焦っていた。

　だから、彼はギルドの主人の忠告にも関わらず、その魔物退治に、一人で行くことに決めた。
　難しい依頼。
　だがそれを一人で解決すれば、否が応にもその腕は評判になる、そう思って。

　……だが、実際にはギルドの情報よりもずっと魔物の数が多く、彼は苦戦を強いられた。
　そして残り一匹まではなんとか倒したものの、疲労と出血で意識を失いかけていた、その時。
　現場に現れ、最後の魔物を倒したのが……彼の、後の親友となる者だった。

　……だが、最初から二人が打ち解けられたわけではない。
　むしろ出会いの印象としては、レオンからすれば最悪だったし、相手にしても決していいとは言えなかった。
　
　「自分一人でもできた仕事だ、何故、邪魔をした」

　……街の宿で目が覚めて、介抱していた相手……それが、最後の魔物を退治して、自分を街まで運んだ当人とわかった時、レオンが言い放った言葉が、これだった。
　開口一番、そんな言葉を言われた相手は驚き、大きく目を見開いた。そして、しばらく考えて、こう言った。

　『放って、おけなかったから。』

　……単純かつ明快なその言葉に対する返事が見つからず、今度はレオンがしばらく黙り込む番だった。

　その後も、それとまったく同じ理由で、後の親友はレオンについてきた。

　……それも、本当にただついてくるだけ。特別、何かを手伝ったりはしない。
　手伝えば手伝われたで、半人前扱いだとか、余計なお世話だ、と文句を言うに違いないが、ただついてこられても、気になって仕方がない。
　レオンは何度も文句を言い、時にはまいてしまおうと、わざわざ無理な道を行ったが、相手はまるで気にせず、時には先回りさえされる始末。

　……結局、レオンがあきらめる他なかった。

　だが、そんな風にしているうちに、少しずつレオンは、自分の周辺の人間の態度が、軟化していることに気づいた。
　最初は自分の腕がやっと認められた、と思った。
　が、そうでないことはすぐにわかった。

　……いつもそばにいたその相手が、自分のいないところで、自分のことをフォローしていたのだ。

　最初、酒場の主人からその話を聞かされた時は、悪い冗談だと思った。
　なぜなら、依頼以外では街の住民と全く関わらない冒険者も多いからだ。

　……冒険者と言うのは、それだけで色眼鏡で見られることも多い。
　事実、レオンもこの街の出身であるにもかかわらず、身に覚えのない疑い、濡れ衣を着せられ、嫌な思いをしたことがある。
　……おまけに、あの冒険者はこの街の出身ではない。……そんな境遇に陥ったことも、一度や二度ではないだろう。
　……だから、まず人の手助けが出来るくらい住民に溶け込んでいること、それ自体が意外だった。

　……だが、酒場の主人が自分を騙す理由も見つからない。
　そして、言われて思い返してみれば、あの冒険者は誰に対しても、全く物怖じしなかった。
　相手の身分や態度は関係ない。迷わず、しかし穏やかに人の輪に入っていき、そして、手助けをする。
　……そんな風にして、街の住民から信頼を得て、同時に、共にいるレオンの評判を上げていたのだという。

　話を信じ、そしてそれが真実であると納得した直後、レオンは迷わず当の本人のところに向かった。

　……疑問だった。
　レオンにはそんなことをする理由が、全くわからなかった。

　……自分は、何もしていない。
　むしろ邪魔者としてしか、見ていなかった。
　……それなのに、何故わざわざ、人の評判を上げる？
　何故、自分の味方につく？

　レオンは宿で食事を取っていた当人を見つけるや否や、荒々しい声でその疑問をぶつけた。

　……疑問をぶつけられた相手は、それを聞いて……まず水を差し出した。

　レオンが思わず「なんだ」と尋ねると、ただ『……のどが、渇いたかと思って。』そう、答えた。

　……ますますわけがわからなくなって、眉をひそめたままグラスを見つめるレオンに、相手は、こう言った。

　『……レオンが何を疑問に思っているのかはわからない。
　　けど、自分はただ、自分のやりたいようにやっているだけなんだ。』

　だから、疑問に思う必要も、ましてや感謝する必要もない。……そう、言ってのけたのだ。

　レオンはしばらく目を丸くした後、声を上げて笑った。

　……湧き上がるもの。それは、自分と相手、両方に対する驚きと、呆れ。
　……それを認識すればするほど、笑いがこみ上げた。……もう笑う以外に、道はなかった。

　涙が出るほど笑った後、相手が差し出した水を、今度はなんのためらいもなく飲み干し――『落ちついた、レオン？』そう、聞かれた。

　……しばらく後に、親友は言った。
　レオンの笑顔を見たのは、あれが初めてだった、と。

　お互いの若さも手伝ったのだろう。
　一度打ち解けると、すぐに仲間として、そして、親友と認めるほどに、二人は信頼しあうようになった。

　いくつもの冒険を、時間を共にした。
　他者と協力することで、どれほどすごいことができるか、そして、人と感情をわかちあうことがどれほど嬉しいことか、あいつは思い出させてくれた。
　二人がいればなんでも出来る、こんな時間が永遠に続く……そう、心のどこかで信じてさえいた。

　……だが……。

　夢の光景が、一瞬で脳裏に蘇る。

　自分をかばう親友。その姿が、身体が、まるで砂のように崩れ落ちる。……たった一枚のマントを残し。
　どれだけ名を呼んでも、どれだけマントをかき抱こうと、もうそこには、何もない。
　冒険でついた汚れ、傷、ふぞろいな縫い目。変わってない。たった今までと何一つ、変わりはしないのに――。

　口の中に、鉄の味が広がった。深く眉間に力が入っていることに気づき、背を反り返すように上を見る。

　……わかっている。悔やんでも、どうにもならないことは。
　だが、悔やまずにいられるわけがない。何もしないで、いられるわけがない。
　だから……。

　レオンは、薄汚れた布の切れ端を取り出し、じっと見つめる。

　生き残ってしまった自分が、親友のためにできること。
　それは……。

　……今よりもっと、もっと強くなって、今度こそ、あの赤き竜を討ち取り……親友に、会いに行くこと。


　待っていて欲しい。たとえ、どんな手を使ってでも……竜の首を土産に、きみに会いに行くから。

　……レオンは目を閉じ、親友の形見を握り締める。
　不意に、いつか言われた、親友の言葉が浮かんだ。


　『レオンって本当に、まっすぐ進む。
　　それがレオンのいいところだけど……
　　ときどきは、立ち止まって考えたり、周りを見るのも、いいと思う。』

　『今はわからなくてもいいけど、覚えておいてほしい。
　　迷いを持つのは、恥ずかしいことじゃない。
　　迷って……立ち止まって、周りを見て、考えること。
　　……それは、まっすぐ進むことと同じくらい、大切なことだから。』


　……私は、間違っていないよな。大丈夫だ。
　呟いて、もう一度、布を強く握り締める。



　――外の闇は未だ濃く、世界を暗く染めている。
　……彼の夜明けが訪れるのは、再び親友の姿を見ることになるのは……もう少し、先の話だ。

―――Fin

（以下コメントにつき薄字・見たい方はマウスでドラッグしてください。）

　かえるの絵本小説では初めての作品。実はプレイ当時から、このあたりのことは何となく書きたいなと思い、半分メモ状態で書きとめてはいたのですが、サイトを作り、かえるの絵本コーナーを作るにあたり、そのあたりも含め、改めて書きあげたのがこの話です。
　一応親友こと主人公の性別はどっちでも取れるかなー的にやってみましたが、自分の中では女性なので、男性にしてはちょっと不自然かも。
　自分の中では主人公の方が年上で、呪いが解けた後に、年の差が縮み、ちょうどいい年の差になる……と勝手に思ってたりします。