最後のたたかい
炎が舞い、地を滑る。鎧に守られた腕でかばってなお、熱い痛みが肌を焦がす。
風が起こる。その源は、丸太のように太い、赤い腕。
身をかたむけ、攻撃をかわし、その勢いのまま、地面を転がる。砂利がむきだしの顔をこする。鎧がガチャガチャと音を立てる。目の前を飛び散っていったしずくは汗か、それとも血なのか。
転がる身体をひきとめ、膝をつき、剣を地面に突き立てる。
ずきん、剣に力を込めた瞬間、腹の傷が目を覚まし、どくどくと脈を打った。
布に染み出ていく自分の血を感じながら、顔を上げる。……視線の先にたたずむ竜は、せせら笑うかのごとく、牙の並んだ口を小さく開けていた。
……胸に縛り付けた青い石に、視線を落とす。
聖なる力、伝説の守りとも呼ばれたそれは、眠りに落ちたまま、その身に抱いた力を放とうとはしない。
奥歯を強く噛みしめる。
……ここで命を失う、覚悟はあった。その先に存在する相手に会いに行くのもまた、自分の望みだった。
だが、それでも……痛みに霞む目で、空を覆う、赤い影を見つめる。
そこにいるのは、空を血に染めるかのごとく、赤く太い二本の足でしっかりと地面を踏みしめているのは……親友の、仇。
親友の命を奪い、自分に深き傷と永き悪夢をもたらした、憎んでも憎みきれない存在。
――赤き、竜。
十年前と、何ら変わらぬその姿。強大な力も、凶暴な意志を宿した瞳も……何一つ、変わりはしない。
……この凶悪な竜を倒すためだけに、自分は生きてきた。
そのためだけに世界をさまよい、手段さえ選ばず、この竜に敵う武器を、防具を探し続けてきた。
――あの仕掛けも、何の役にも立たないというのか。
私では、どうあがいてもこの竜に敵わないというのか！
自分のふがいなさが悔しくて、強く剣の柄を握りしめる。……竜がその様子を、おかしそうに眺めているように見えた。
――悔しい。
悔しい。嫌だ、負けたくない！
こいつにだけは、こいつだけは、この手で……！
怒りを力に、膝に力を込め、立ち上がる。
だが、その瞬間、竜の口が大きく開いた。
――……来る！
咄嗟に地面を蹴ろうと、足に力を込めたが……疲労のせいか、思うように足が上がらない。
――しまった！
炎よりも先に、熱い空気が全身を襲う。
思わず、背中に腕を伸ばす。
……瞬時に、十年前の悪夢が瞳に映った。
力つきる自分。
迫る炎。
……世界を覆う赤い光の中、何かが、視界の端で動く。
けれど自分は、動けないまま、何もできないまま、
ただそれを――親友の助けを、それによる親友の死を、待つばかりで。
……その光景は、まるで現実のもののように、鮮やかに蘇る。
迫り来る、赤い光。
そして……
黒い影が、飛び出す。
自分の足が、地面から離れた。
――！？
何が起こったのか、わからなかった。
これが走馬灯というものなのだろうか、死ぬ寸前に、自分の心は十年前に戻ってしまったのだろうか。……本気でそう、思っていた。
岩に背をまかせ、竜の姿が見えなくなって……目の前の親友が、レオンと名を呼んだ……その、瞬間まで。
「…………きみが、助けてくれたのか…………？」
もうろうと、していた。視界も……意識も。
目の前にいる者が、親友であるはずはない。
わかってはいても、閉じかけたまぶたから見えるその姿は、十年前に自分をかばい、その命を失った……親友、そのものだった。
――共に戦い、そして、帰ろう。
決戦前、そう言って自分を見つめたあの瞳が、揺れた髪が、そのまま目の前にあった。
頭を軽く振って、目を覚まそうとする。
その振動が、どこかの傷に反応したのか、痛みが全身を駆け抜けた。
……まだ、あの世ではないらしい。
意識がふらついたまま、それだけは確信し、ふさぎかかっていた目を見開く。
視線に気づいたのか、目の前の人物は、腹の傷の手当てをしながら、顔を上げた。
……その顔は、その姿は……数ヶ月前、自分の目の前で、ロンダキオンに新たな英雄として選ばれた……コロナの街の冒険者、だった。
……確かにその姿も、名前も、十年前の親友、そのままではあったが……彼女本人であるはずは、ない。
そもそも、十年も経っていれば、その姿形も何らかの変化を見せるはずであるし……何より彼女は、初めて対面した時、自分に対して、何の反応も示さなかった。
……あの時、竜を騙った盗賊が起こした事件の時。
竜のうわさを追った結果、事件の現場を訪れ、同様にその事件の手がかりを調べに来たのであろう彼女を見かけ、声をかけた時は――ほとんど姿など見ていなかった。
似た姿、風貌の人間を見つけて、声をかけ、否定される……そんなことは、この十年で、幾度となく経験していて。
……人の姿を確かめ、彼女がいないことを改めて確認し、落胆するのが嫌になっていた。
だから、騒ぎの犯人に話を聞き、再び彼女に声をかけたときまで、姿を見ようともしなかった。
……その姿を映した時の気持ちが、わかるだろうか。
そんなはずはない、そんなことはこの十年でよくわかっているはずだ――そうわかっていても、失くした親友と、同じ顔をした人間が立っていて。
ひどく心が騒いだ。そのまま、動けなくなりそうだった。
けれど、彼女は全くの無反応で。そうした時、すべての人間がするのと同じように、知らない人間を、他人を見る目をして……同行者にいたっては、私の名前まで尋ねてきた。
……もし何らかの事情で、十年前の姿のままであったとしても、彼女が自分を忘れるはずは、ない。
だから、彼女を避けてきた。赤い竜に関わるな、とも言った。
会えば嫌でも心を乱されるし、何より、親友と似た姿の人物が、竜の犠牲になるのもまた、忍びない。
同じ竜を追っているとわかっても、竜に対抗できる守り、ロンダキオンに選ばれた者だとわかっても、どうしようもない時以外は、決して会わないようにしていたと言うのに……。
レオンが言葉を発しなかったためか、彼女は視線をはずすと、傷に薬を塗り続ける。
「どうして、こんなことをする……？
せめて、見殺しにしてくれていればよかったものを……！」
思わず口から、弱音がもれた。
彼女が再び顔を見上げる。
……変わらぬ大きな瞳が、自分を責めているように見え……言葉がまた、あふれ出た。
「……友との約束も果たせぬ私に、ぶざまに生き続けろというのか？」
彼女がうつむき、押し黙った。
……辺りの空気を、沈黙が包む。
自身で言った言葉に、レオンがさいなまれ、顔ごと目をそらしていると、彼女はうつむいたまま、ぽつり、と呟いた。
「……変わらないのね、レオン」
どくん、と心臓が激しく跳ねた。
静かだった、罪悪感に縮んでいた心臓が、一瞬で目を覚ます。
その……声は……その、話し方は。
ゆっくりと、レオンは自分の顔を戻す。
彼女は、顔を上げていた。
「一途で、まっすぐで……一度こうだって決めちゃうと、
他のもの、何も見えなくなっちゃう、そのクセ。
……私、言ったじゃない。
困ったら、ちゃんと周りも見てって。
……あなたが心を開いて、周りを見渡せば、絶対……
どこだって、どんな時だって、
あなたの力になってくれる人は、いるはずだからって……。
……忘れちゃったの？」
そう言って、自分を正面から見すえた、その瞳は、顔は……
「……きみ、なのか？」
彼女は、こっくりと頷いた。
目を見開くレオンに、彼女は静かに、微笑んだ。
十年前。
倒れたレオンをかばい、彼女はその身に竜の炎を受けた。
……レオンが覚えているのは、ここまでだ。
――だが、彼女はそこで死んではいなかった。
その炎を受けながらも、そのまままっすぐ、剣をふるい、あの赤き竜に向かっていったのだ。
まさか自分の炎を受けてなお、ひるまず攻撃されるとは、竜は想像していなかったのだろう。
彼女の剣で竜は深手を負ったが、とどめを刺すには至らず……、彼女もまた、竜の反撃と、炎の傷で、半死半生となっていた。
……その時に、竜に対抗できる守り、ロンダキオンも砕けてしまい、彼女は、死を感じたという。
だが、竜は彼女にとどめを刺そうとはしなかった。
……それは気まぐれだったのかもしれないし、彼女の闘志に脅えたのかもしれなかった。攻撃をしかければ、そのすきをついて、再び反撃されるかもしれない。……たった今、その手で重傷を負った竜に、そんな弱気が生じても、何ら不自然ではなかっただろう。
とにかく、彼女は殺されずにはすんだ。……しかし、その代償に、彼女は竜の呪いを受けたのだ。
全ての記憶を、意志を失くし、自分に逆らうことなど不可能な、脆弱な存在……一匹の小さなかえるになる、呪い。
重傷を負い、ロンダキオンも失った彼女には、その呪いを防ぐ術はなく……竜の思惑通り、記憶を、姿を失くしてしまった。
それから十年間、偶然に賢者と出会うまで、自分の記憶を求め、世界をさまよっていた……彼女はそう言った。
「……かえるになった時、私は本当に何も覚えてなくて……
そんな私に、かえるのみんなはとても優しくしてくれた。
かえるの言葉、食べ物の取り方、泳ぎ方……
怖い生き物から逃げる方法も教えてくれて、
ずっとここに住んでもいい……そうも言ってくれた」
彼女の瞳が、どこか遠くを見る。
ふっと、彼女の唇から、軽い息がもれた。
「……だけど、そんな時になると、いつも私の中で何かが叫んだ。
『だめ！』……って。
ずっと、わからなかった。どうしてだめなのか、
どうしてそんな声が聞こえるのか」
「でもね」そう言って、レオンの瞳に自身の姿を映す。
「レオン……あなたに会って、
失くしていた記憶が戻って……やっと、わかった。
私、ずっと捜してたの。あなたを。
あなたを、赤い竜を、このままにしちゃいけない。
このまま私だけが何もかも忘れて、
平和に暮らしていけても……それじゃ、いけないんだって」
その瞳が、揺らめく。
レオンが言葉をかけようとするより早く、彼女はうつむいた。
「ごめんね、レオン。私……すぐにあなたに気づけなくて。
こんなに私……あなたを捜していたのに……
本当に……ごめんなさい……」
声が、震えていた。
「あ、謝らないでくれ！きみのせいじゃない」
考える間もなく、口は動き、言葉は勝手にあふれていた。
「私こそ……きみに、すぐ気づくべきだったんだ。
勝手な思い込みで、
きみが十年前の姿のままであるはずがないと思い込んで、否定して……
きみこそが、私がずっと捜していたものだったと言うのに！
それなのに……私は……！」
何を言いたいのか、自分でもよくわかってはいなかった。
彼女を慰めたいのか、自分を責めたいのか、許しを請いたいのか。
ただ……とにかく、言葉をかけたかった。彼女の悲しむ顔を、どうにかして変えたかった。
そんな自分を見て、彼女は、眉をひそめたままで、小さく笑った。
その無理をした微笑みが痛くて、レオンは無意識に、自分の胸元に手を伸ばす。
……手に、硬くて丸いものが当たった。
――これは……！
レオンは思い切りそれをつかむと、彼女の手にそれを押し付けた。
突然の行動に、彼女が目を丸くする。
「……レオン、これは……」
彼女の目が見開かれたのは、その行動のせいばかりではなかっただろう。
彼女の手のひらで、ロンダキオンは淡く青く、光っていた。
「……すまなかった、勝手に持ち出したりして」
そう言って、頭を下げる。
……自分の愚かさが、思い返すごとに、胸の奥を叩き、重かった。
「これは、きみのものだ。
ずっと昔から、きみの……きみだけのものだった。
だから……きみのもので……竜を、倒したくて……すまない」
最後の言葉は、ほとんど声になっていなかった。
理由はどうあれ、自分のしたことが――勝手に彼女のロンダキオンを持ちだしたことが、まちがっていたことには変わりない。
レオンは、更に深く頭を下げた。
……手に、やわらかいものが触れた。
顔を上げると、彼女は、ロンダキオンごと、レオンの手を包み込んでいた。
優しい微笑で、こちらを見る。
甘えてはいけない、そう思っても、その笑顔は、暖かかった。
「……レオン、まだ、戦える？」
脈絡なく、彼女が言った。
言われて初めて、自分の身体の状態を気にする。
手当ては終わり、身体の痛みは、ほとんど無くなっていた。
「……無理に、とは言わない。だけど……もし、まだ戦えるなら……
一緒に、行こう。一緒に戦って、竜を倒そう。
そして今度こそ……みんなのところに帰ろう。……二人で」
喉に、こみあげるものがあった。
もしもう少し若かったら、もう少し素直だったら、この場でむせび泣いていたかもしれない。
……だが、今は泣いている場合でも、感傷に浸っている場合でもない。
……眉間に力を込め、歯を食いしばった。
「……条件がある」
絞り出した声が、あたりに響く。
彼女が小さく、首をかしげた。
「……絶対に、死なないこと。
危なくなったら、私のことは気にせず、すぐに逃げること。
……もう二度と、あんな思いはしたくない」
睨むかのような目で、彼女にそう告げる。
彼女は少しレオンの目を見た後、こう言った。
「……うん、いいよ、その代わり…」
そこで一息ついて、続ける。
「レオンも同じ条件を飲むこと。……いい？」
……返事の代わりに、二人で笑った。
手の中で、ロンダキオンが光っていた。
レオンは手に、力を込める。
「……絶対、だぞ」
もう一度言うと、彼女は笑って頷いた。
立ち上がり、土を払うために、汚れた剣を虚空にふるう。
――自分の腕が、かつてないほど、軽く感じた。
十年前。
故郷を食らいつくすべく現れた赤き竜を倒すため、私たちは戦った。
竜を倒す力を求め、伝説の守りを探し、深い洞窟にもぐった。伝説を扱うにふさわしき者とドワーフに認められるため、共にいくつもの試練も受けた。
そして、険しい山道の先、雲の泳ぐ山頂で、赤き竜と対峙し――傷を、負った。
傷の生み出す、深く暗い痛みを背負い、十年もの間、闇の中で彷徨ってきた。
そして再び――私たちは、二人、山頂にたたずんでいる。
あの時と、同じように。
たくさんのものが変わっている、そのはずなのに、十年の月日が逆戻りしたような、そんな感覚が、この身に煙のようにまとわりつく。
懐かしさと同時に、眠っていた不安が、むくむくと目を覚ました。
――どうすれば、いい。またあの時と同じようになったら――
「……大丈夫」
彼女が小さく、囁いた。
視線を向けると、迷いのない瞳が、私を見つめていた。
「私たちは、あの時の恐怖を、ちゃんと知ってる……だから、大丈夫。
今度はきっと……うまくいくよ」
そう言って、微笑む。
広がっていた不安が、すっと霧散する。
私は、自分のマントの端を握ると、
「そうだな、うまくいく。
……絶対に」
……そう、呟き、笑った。
「……脆弱な人間が。懲りずにまた来たか」
……竜が、私たち二人を見て笑った。
ふと、疑問が浮かぶ。
私を見失った後、ずっとこのまま、待っていたのだろうか。
何故、追ってとどめをさそうとしなかったのだろう。
くだらない疑問だ、そう思って打ち消そうとしたが、竜はその疑問に、あっさりと答えた。
「……ほう……その姿は……やはり。
先ほどは、まさかと見逃してしまったが……
せっかく姿を変えてやったというのに、気に入らなかったのか？
……よく似合っていたぞ。脆弱なお前に、かえるの姿は」
そう言って、声を上げて笑う。
怒りで走り出しそうになった私の手を、彼女がつかんだ。
振り返ると、彼女が首を横に振った。
――まだ。今飛び込んだら、相手の思うツボだから。
そう、目が言っている。
……私は、深く息を吸い込み、自身の怒りを抑えつけた。
竜は私たちの様子を見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「……まったく、弱いくせにふてぶてしく小ざかしい……
目障りな、生き物め。
今度こそ、このフレイスに逆らったことの
愚かしさをその心身に刻みつけ、地獄で後悔するがよいわ！」
竜がツメをならし、牙の並んだ口を開け、襲いかかる。
私たちは一瞬、目を合わすと、頷き、地面を蹴った。
竜のツメが、牙が、私たちを引き裂こうと襲いかかる。
その攻撃から身をかわし、急所を目指して、剣を振るう。
竜を覆う赤いウロコが、剣に弾かれ、音をたてる。
……硬い。
だが、全く歯が立たないわけではない。
攻撃から竜の身を守り、役目を終えてはがれ落ちたウロコの何枚かを、剣から振り払う。
……細かく硬い、竜のウロコとて、無限ではない。
何度も一箇所を狙い続ければ、きっと剣は、その身にまでたどりつくはずだ。
そうすれば、私の剣も――
目の前を、竜の尾が風と共に通り過ぎる。
彼女が、竜に飛びかかっていた。
ロンダキオンの青い光に包まれ、巨大化した彼女の剣は、竜のウロコを引き裂き、そのまま竜の体に、傷をつける。
血しぶきが舞う。竜が吠え、暴れる。
その光景に、私の心臓が、強く跳ねた。
――落ち着け。
息を吐いて、自分で自分に、言い聞かせる。
――一番大事なのは、焦らないこと。
自分に、彼女に何かあった時、すぐに動き、なんとか……死なないように、すること。
……一番大事なのは、そういうことだ。
わけあたえられた薬の場所を、自分の中で確認する。
――焦るな。自分に出来ることは、ちゃんとある。
一人、頷き、決意を込めて、剣を握りなおす。
そして地面を蹴り、再び、吠え猛る竜に、向かっていった。
山の風が、竜の攻撃で起こる風が、私たちの身にかかり、動きの自由を、体力を奪おうと襲いかかる。
だが、そんなことでひるむわけにもいかない。
指に、足に力を込め、剣をふるい続ける。
運悪く攻撃を受ければ、それがどれほど軽くても身を隠し、薬で傷を癒し、そしてまた、飛びかかる。
片方が傷を癒している間は、もう一方が竜の気をひく。
……戦いは、長引いた。
低かった日が、空高く昇り、真上から戦いを照らす。
地面が揺れ、土ぼこりが舞う、竜の咆哮が、世界を揺らす。
汗が落ち、息が上がる。胸の奥が、激しく脈打つ。
それでも剣をふるい続け……私の剣が、ついにウロコの下のその脚に、深く傷をつけた。
その痛みに竜が天を衝き、大きく鳴いた。
それを好機と見たか、彼女が竜のツメを狙い、剣を横なぎにふるったのが見えた。
しかし、その瞬間、竜もまたその腕を振るい――
甲高い音が響き、何か長いものが、宙を舞った。
――どっちだ！？
くるくると舞い、地面に刺さった長細い物体を、目で追う。
……これは……！
それは長く細く、鋭い……竜のツメの、先。
――よし、これで少し楽に……！
そう思い、竜の方に視線を戻す。
だが、そこには予想外の光景があった。
ツメの折れた赤い指先を、更に鮮やかな赤い色に染めた竜と――
その腹に傷を負い、膝を折った、彼女の姿。
彼女が薬を手にしているのは見えたが、いかな霊薬と言えども、一瞬では傷は癒えず、腹をおさえたまま、荒く息をついている。
――竜の目が、笑みの形に歪んだ。
竜が首を高くあげ、その口が、大きく開く。
深い咥内に、何か光ったのが見えた。
彼女が顔を上げる。
――私は、駆け出していた。
彼女の眉が歪み、目を見開く。
彼女が足に力を込めてるのは、わかった。
――終わりだ
竜の言葉があたりに響き、そのまま、その口からは、光があふれ――
彼女の前で、私は大きく手を広げた。
背中から、熱い風と、髪の焦げる匂いが、した。
竜は、混乱していた。
今、目の前にある光景――それは、広がる炎と、その中で悶え苦しむ、ちっぽけな人間ども――そうで、あるはずだった。
だが、しかし。
いま、竜の瞳に映っているのは、広がる赤い炎……ではなく、激しい、白い輝き。
まるで、星のようにキラキラとした、この場にふさわしくない、煙のような何かに包まれた景色。
――いったい、どういうことだ！？
……竜は、目の前の光景を理解しようと、懸命に正面に向けて目を凝らしていた。
……だから、気づかなかった。
自分の真上から降り注ぐ太陽の光。
その光を、ひとつ、遮る影があることに。
頭上が青く染まっていることに気づいた時には、もう、遅かった。
口を閉じ、頭を上に向けたときには、もう眼前に、青い剣は迫っていた。
――何故だ！
その疑問が叫びになるより早く。
剣は、竜の額を断ち割っていた。
――何故……！
白い輝き――竜を混乱させた煙が晴れ、そこに男が、たたずんでいる。
……男が、自分を見て笑ったのを、薄れ行く意識の中で、竜は目にした。
深く低い咆哮が、あたりにこだました。
その咆哮が、どのような感情からもれたものなのか、それは、竜自身にもわからなかった。
「……レオン！」
彼女は、竜の血に染まった地面を踏みしめるや否や、レオンのもとに駆け寄った。
「……大丈夫、なの？本当に……」
そう言って、ひざまづいて、心配そうに眉をひそめる。
「ああ。……そう、言っただろう。
大丈夫だ。心配ない」
レオンは立ち上がり、マントだった布の端を取り、広げてみせる。
焼け焦げたマントが、そしてその奥にあるもう一枚の布が、ビラビラとだらしなく揺れた。
「それって……光のローブ？」
「……ああ。
マントに、もう一枚……光のローブを縫い付けて、
その間に水の魔法石をつめこんだだけで、大したものじゃないが……。
最後の最後に、役に立ってくれたな」
……きっかけは、あのいつもの夢、だった。
……決戦を近くして、少しは身体を休めなければ、そう思い、宿をとり――いつものように、悪夢を見た。
竜の炎を受けた自分の前に、彼女がたちふさがり――マント一枚を残し、消える……あの、夢。
身体は休めても、最悪な気分で目覚めて……ふと、思ったのだ。
何故マントだけ、残るのか。
竜の炎を受ければ、一番に燃えつきそうなものなのに。
ただの記憶の回想、実在の光景、それはわかっていたはずだったが、動き出した思考は止まらず……そして、思いついた。
マントで、竜の炎を防ぐことは、できないだろうか……と。
そこで、店を回り、魔法に強いという、光のローブと、水の魔法石を、手に入れた。
マントで炎を受ける、その瞬間に、使用者の意志に応じて発動する水の魔法石に念じれば――水の魔法が発動し、その分、炎のダメージが軽減されれば……光のローブでも、充分に身体を守れるのでは……そう、思って。
あくまで、役に立てば幸い、その程度で仕込んでおいたものの一つだ。
……本当に、それもこんな形で役に立つとは思わなかった。
実際、戦闘中に、敵に背を向けるわけにもいかないし、その効果に気づかれ、爪でマントを引き裂かれては、何の意味もない。
……彼女がいなければ、何の役にも立たないまま、自分と共に地に伏していただろう。
……あの瞬間、マントで炎を防ぎ、結果的にあふれた霧で相手がひるんだ瞬間に、自分の身体を踏み台に上空へ飛び、竜を攻撃するよう、彼女に告げた。
彼女は一瞬ためらったが、それでも、絶好のチャンスを逃すわけにはいかない。
彼女は上空に飛び――油断した竜を、見事打ち倒した。
「……終わった、な」
地に伏した竜の亡骸を目の端で見ながら、レオンは呟いた。
「……うん。……そうだね」
彼女が呟き、目を伏せる。
どうした……レオンがそう聞こうとした瞬間、彼女の身体は、地面に崩れ落ちた。
「！」
すぐに駆け寄り、慌てて彼女の身体を起こす。
肩に嫌な緊張が走り、レオンは叫ぶように彼女の名を呼んだ。
悪夢が、脳裏に蘇る。
砂に、灰になって崩れる彼女の姿。
何度呼んでも答えず、まるで最初から何もなかったかのように、その姿が消える、あの光景。
――嫌だ！
その光景が目の前に重なりそうになり、レオンは懸命に彼女の身体を揺らした。
「お願いだ、目覚めてくれ！
もう、いかないでくれ！」
知らないうちに、そう、声にして叫んでいた。
泣きそうになって、けれど涙を流せば、夢と同じようになるような気がして。
……こぼれそうな涙を留めるために、強く目を閉じると、ほほに何かが触れるのを感じた。
「……レオン」
目を、開ける。
そこには、細くとも、しっかりとその瞳を見せて、微笑む彼女がいた。
「……大丈夫。
これで終わったんだって思ったら……
レオンが無事だってわかったら……ちょっと……力が抜けただけ。
ごめんね……心配させて。もう……大丈夫。大丈夫だから」
そう言って、レオンの顔についていた土を、指でぬぐう。
レオンはそのまま、彼女の身体を抱きしめた。
「……レオン」
名を呼ばれ、更に腕に力を込める。
「………」
彼女が、少し身をよじろうとしたが、レオンはそれをさえぎるように力を込めた。
「……すまない。
だが……もう、少しだけ、こうさせてくれ。
確かめていたいんだ。きみが、ここにいることを……
確かに……ここで生きているということを」
「……うん」
彼女は小さく頷き、そっと、寄り添った。
腕から、胸から、彼女のぬくもりが伝い、広がる。
そのぬくもりが、十年の間巣くっていた、冷たい悪夢のカケラを、一つ一つ、ぼろぼろとはがし落としていく。
――……悪夢は、終わったんだ。
そう、心の中で呟くと同時に、重い闇が消え、暖かさが心を満たすのを、レオンは感じていた。
――Fin
（以下コメントにつき薄字・見たい方はマウスでドラッグしてください。）
……主人公性別・職業指定および主人公のセリフあり。本来未発表にしておくつもりで書きためていた話でしたが、サイト開設一周年に乗じて思いきって発表してみました。
でもどうしても、最後にレオンと一緒に戦いたかった！甘さはなくても何かしらのＥＤを迎えたかった！と言う気持ちはプレイ当初からあったし、他作品でも叫んでいたので、発表できて、悔いはないです。
魔法石云々の理屈はゲーム中での演出より勝手に解釈してますので、公式その他と見解が違う可能性がありますのでご注意ください。
ちなみに勝手に書いた「夜明け前」「あさきゆめみし」の設定を使ってる割に、第二弾こと「日食の果て」ともパラレルという複雑構成ですので、そのあたりもご容赦を。
とにかくここまでお付き合い、ありがとうございました。
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