あいのはなし

　よく晴れた、天気のいい朝のこと。
　町はずれに設置された、深く仰々しい色をした占いテントのその中で。

　わずかにもれる日の光の下、大きな水晶玉の置かれた机をはさみ。若い男女が椅子に腰かけ、むかいあっていた。

　片方は長く大きな……先端に球を沈めた円柱にも、あるいは位の高い料理人がかぶるものにも似た、緑と白の特徴的な帽子をかぶった青年。

　もう一方は、褐色の肌をした、長い髪の若い女性。
　……もっとも、今はその肌、そして顔の半分を、大きな布でおおっているため、黒目がちな目もとしか見えてはいないが。

「……クリフトさん」

　体を布で覆った女性が、うやうやしく名を呼ぶと、青年は見るからに緊張した様子で「はいっ」と高く声を返した。

「……ある高貴な女性とあなたの相性を占って欲しい。
　そういう、話でしたね？」

「は、はいっ！」

　女性の言葉に、顔を赤くし、声をあげながら、青年は勢いよく頷く。
　しかし向かいあった女性は……青年の様子に反して、考え込むように静かにうつむき、少し間を置いてから低い声で言葉を続けた。

「……最初に言っておきますが、占いはあくまでしるべ。
　あなたがどれだけ、その高貴な女性を思っていたとしても……
　占いが本当にその力に……恋を叶える力になるかどうか、わかりません。

　……もしかすると、結ばれない運命を見せてしまうかもしれません。
　……それは、よろしいですか？」

「えっ……あ……は、はい……」

　……明らかに先ほどより勢いのない返事をし、頭と肩を落とす青年。
　その姿を見て、女性は少し声色を変えて、青年へ言葉をかけた。

「……しかし、です。
　もしもあなたが、その高貴な女性について、くわしく……
　出会いから今に至るまでを、くわしく詳細に話していただけるのなら……

　よりくわしい占いができますし
　仮に、今は結ばれぬ運命だとしても……
　それを変えるための道が見えてくる……かも、しれません」

　女性の言葉が進むにつれて、自然と青年の顔が上がり、目に希望の光が宿る。

「……話して、いただけますね？」

　女性が目を細めてそう言うと、青年は再び……顔を赤くし、勢いよく肯定の声をあげた。

　クリフトと呼ばれた青年が、ある高貴な女性と出会ったのは――その女性が住む、サントハイムの城へとやって来たのは……彼がまだ、幼い少年のころだった。

　サントハイムの城のすぐ近く、サランの町の教会で、神の教えを学んだ結果――幼くして、神官の才能を見出されたクリフトは、高名な魔法使いや神官が多く住み、教育や研究の施設も充実していたサントハイムの城……その教会の神父を務める神官のもとで、修行をすることになったのだ。

　新たな環境への適応、物慣れぬ修行の日々など……それなりに誰もが味わう困難を経験しながらも……彼は未来の神官に向けて、おおむね順調に成長していった。

　……そうして、少し時が過ぎたある日のこと。彼はサントハイムの城へやってきた商人から、師としてあおぐ神父への伝言を頼まれた。

　サランの町の道具屋が……神父さまから頼まれていた品を入荷した、なるべく早く取りに来るようおつたえください、と。

　それをクリフトに伝えると、商人はすぐ立ち去って……その場に残されたクリフトは、少し困って考え込んだ。

　今日は大事な用があり……師である神父は、一日手がはなせない。
　しかし、伝えられたその品は……数日前から神父が今か今かと、ずっと待っていたもので、できることならすぐにでも渡したかったからだ。

　少し、考えた後……クリフトは、サランの町へと向かうことにした。

　城から外へ出るときは、魔物や悪い人がいるといけないから、ちゃんと大人の人についていってもらいなさい……常々そう言い聞かされてはいたものの――神父も含め、大事な用事で城のみんなが忙しい今日、自分につきそってくれる大人が見つかるかどうかはあやしく、何より自分も、地域や時代によっては成人、婚約したっておかしくない年のはず。

　言われたことをただやるだけじゃなく、自主的にできたっていい。それにサランは見慣れた場所、おつかいぐらい、自分なら簡単にできる――そのように、勝手に思い。

　自分はできる、いい結果にしかなるはずがない――子どもにありがちな、根拠のない自信を持って。まだ幼いクリフトは、小さな荷を手に、明るい外へとふみだした。

　城を出て、道を抜け……サランの町へとたどりつき、神父の使いと説明をして。
　……道具屋から、品の入った包みを受け取ったクリフトは、胸を張って、明るい草原の道を……サランの町から、サントハイムの城へ続く道を歩いていた。

　――どうだ、やっぱり平気じゃないか。
　　　　やっぱり自分はもう大人だ、こんなこと、簡単にできるんだから――

　誰に向けるわけでもなく、そう思い。
　荷を手にして、誇らしげな気持ちを抱き……人気のない道を、口元をゆるめながら歩いていた、そのときだ。

　……急に目に映る景色が色を失い、クリフトは土の匂いのする地面へ、音を立てて正面から倒れ込んだ。

　とまどい、自分の状況がわからないでいる……視界の色が戻りきらない、その間に。
　何かが大きく耳ざわりな音を立てて、うつぶせに倒れたクリフトの上に、重みをもってのしかかり……丸みをおびた硬い何かで、何度も何度も、クリフトの頭と体を殴りつけた。

　急激な痛みと衝撃の中、恐怖と苦痛に体がこわばり、ふるえながらも……クリフトは自分の上にいるものの正体を確めようと、わずかに首をひねり、視線を向ける。

　……大きく真っ赤な眼球、白っぽくかたそうな虫の口、黄緑色の肌の上をめざわりに揺れる、赤いヒモのような触覚が目に飛び込んできて……クリフトは、思わずひっと息をのんだ。

　――キリキリバッタ！

　草原などに生息する大きなバッタの魔物。攻撃力が低く呪文に弱いので、そう恐れることはない――そう、書物で読んだことはあった、確かにあったが……。

　攻撃力が低かろうと、不意をつかれて後ろから無防備な箇所を何度も攻撃されては、痛いことに変わりはないし、偶然か故意か、強い虫の脚で体をおさえつけられていては……呪文に弱いなどという情報、気やすめにもなりはしない。

　……未来の神官になるため、人を助けるため、クリフトは体力を回復させたり、ケガを癒やす呪文をある程度覚えてはいたし、今も道具屋で受け取ったものとは別に、緊急手当用の荷物を持っていて――さらに、自分や人々の身を守るため、護身術や剣術も習ってはいたが……気を抜いていた時に後ろから襲われ体の自由を奪われ、あげくに自分より一まわりは大きい魔物に、休むことなくがんがんと攻撃をされ続けていては……相手を倒す、逃げるどころか、言葉を発することすらままならない。

　――やばい、これ……やばい……
　　　　助けて、だれか……だれか、たすけて！

　自身の体が発する痛みと、耳ざわりになり続けるキリキリバッタの羽音の中、声にならない声で、そう助けを求めて叫び――何度、それを繰り返しただろうか。

　……急に、衝撃がなくなり……体が、すっと軽くなった。

　――あれ……これ、もしかして……
　　　　…………ぼく……死んじゃった……？

　そんなことを思いながら。
　しばらく、うつぶせのまま呆然として……自分が正常に息をしていることに気づいたクリフトは、体をひっくり返して身を起こす。

　……起き上がったその視界に、明るい草原と……キリキリバッタと戦う、女の子の姿が飛び込んできた。

　やわらぎながらも、ずきずきとうずくような痛みと、顔や頭全体に広がる、妙な熱さとどろどろしたしょっぱさを味わいながら。
　上半身を起こしたクリフトは、呆然と、目の前の景色を眺めていた。

　天気のいい、穏やかな昼下がり……そんな言葉がぴったりの、青い空と太陽の下、草原の緑にあふれた世界の中で。
　真っ赤な目と、黄緑色の体をしたキリキリバッタと――自分より、たぶん小さい女の子が戦っている、そんな光景を。

　かわいらしいとさえ思えるような気合の声をあげながら、手ぶくろとブーツで包んだ、おそらくクリフトよりも短い手足を存分に使い、小さな女の子が、自分を襲った大きな虫の魔物と戦っているのだ。
　……しかも、見る限り、断然優勢に。

　クリフトが呆然と見ているうちに、戦いは終わり……女の子の拳を受けたキリキリバッタは、ぎぃぃ、と低い声をあげて、横向きに地面に倒れ、動かなくなった。

　――もしかして、ぼく、夢でも見てるのかな……。

　にわかに信じがたい光景に、ぼんやりそんなことを思っていると……キリキリバッタを倒した女の子が、クリフトを振り返り……軽い足音を立て、近づいてきた。

「ねえ、大丈夫？　顔、真っ赤よ？
　……血、出てるし」

　……女の子にそう言われて顔をさわり、初めて自分が鼻血を出していたことに気づき……クリフトは、ああ……と気の抜けた声を出す。

「ふくもの、つかう？」

　そう言って女の子が自身の服をごそごそし始め……やっと、少しだけ正気が戻ってきたクリフトは、大丈夫、持ってる、ありがとう……そんなことを言いながら、自分の荷から、手ごろな布を取り出した。

　とりあえず、できる、わかる範囲で、クリフトは自分の手当てをし……それが終わり、なんとか立ちあがったクリフトは、女の子がつけている手ぶくろに、キリキリバッタのものとは違う、赤い血がついているのに気がついた。

「血……ついてるよ？」

　そう言われ、女の子は自分の手を見る。

「あら、本当ね。でも平気よこんなの」

「……そんな、ダメだよ。ちゃんと手当てしないと」

　そう言うと、クリフトは女の子の手をとり、血のついた手ぶくろをはずす。
　実際、大したことのなさそうなケガではあったが、念のため、自分の荷物から必要そうなものを取りだし、ケガの手当てをしておいた。

「……自分の方が、もっとケガしてるのに。
　……変な子」

　手当てが終わり、クリフトが手をはなすと、女の子はそう言って身をひるがえし、あっという間に走り去り……残されたクリフトもまた、歩き出した。

　……女の子が向かった、サントハイムの城へと向かって。

　サントハイムの城へと戻り、ぼろぼろの姿を見た神父や周りの大人に心配され、ケガの理由を話し……怒られて。
　なんとか無事だった荷物を渡し、手当てと説教を受けながら、一晩がたち。

　……朝から神父に、今日は一日、休んでいるようにと言われ。

　自分の部屋でクリフトが、自分と女の子の手当てに使った分の、荷物の補充をしていると……急にドアが開いて、小さな影……昨日の女の子が、昨日と同じ格好で入ってきた。

「……お母さまが、ちゃんとお礼を言ってきなさいって。
　……昨日は、ありがとう」

　そう言って、クリフトの部屋の机に綺麗なつつみを置くや否や、そのまま帰ろうとするので……クリフトは思わず「待って」と女の子を引きとめ……「なに？」と短く聞き返された。

　……そのように言われると、具体的な「なに」が思いつかない。

　しかし、引きとめた手前、何か言わないと……そう焦りながらも、その『なに』を考え……クリフトはとりあえず、昨日の手のケガを見せてくれるよう言ってみる。

　言われた女の子は、素直に手ぶくろをはずして「はい」と小さな手をクリフトに向けて差し出し……その手が昨日よりも普通の状態に戻っているのを見て、クリフトが安心していると、今度は女の子が話しかけてきた。

「ねえ、あなた、名前はなんていうの？
　……今度はちゃんと、お名前を聞いてきなさいって、お母さまに言われたの」

　――さっきも「お母さま」と言ってた

　きっとこの子は「お母さま」が好きなんだろうな……そんなことを思いながら、クリフトは自分の名を伝え「きみは？」と女の子の名を尋ねる。女の子は「アリーナよ」と名のり、続けざまに「ねえクリフト、傷はもう大丈夫なの？」と聞いてきた。

　……自分より年下に見える女の子に、すぐに自分の名前を呼び捨てにされ。クリフトは少し戸惑いながらも

「……あ、うん、もう大丈夫みたいだね。
　……血も出てないし、変な色にもなってないし。これなら、きっとすぐにもとの手に戻るよ」

そう、返事をすると、女の子は「え？」と声を出す。
　……少しして、女の子は「ああ」と頷き、言葉を続けた。

「ちがうわ、わたしじゃなくて、あなたのことよ。
　クリフト、キリキリバッタのしたじきになって、鼻血を出して顔が赤くはれて、ぼんやりしてたじゃない。
　それはもう大丈夫かって聞いてるの」

　――言われてみれば、そうだった

　自分でもなぜ抜けてしまったんだろうと不思議に思いながらも、クリフトは、うん、もう大丈夫……だと思う、と、曖昧に返事をする。

「……やっぱり変な子ね、クリフトって」

　クリフトを見つめながら、アリーナはそう言い、大きな目をぱちくりとさせた。

　すっかり自分を呼び捨てにすると決めたようなアリーナだが、なぜか嫌な感じはせず。
　クリフトは、自分が命の恩人でもある彼女にまだちゃんと礼を言ってなかったことに気がつき、

「あ、えーと……昨日は、危ないところをありがとう。
　助けてくれて……助かったよ……アリーナ……さん」

一応「さん」をつけて礼を言う。
　するとアリーナは「やめてよ、アリーナでいいわ」と軽く口をとがらせ、さらに「わたしだって、クリフトのことクリフトって呼ぶんだから」とつけくわえ……クリフトは、軽く苦笑いをしながら頷いた。

「それに、お礼もいらないわ。
　あのキリキリバッタだって、わたしが強くなるために倒しただけなんだから」

　はずした手ぶくろをはめなおしながら、アリーナはそう続け――クリフトは思わず「なんで、そんなに強くなりたいの？」とアリーナに聞いてみた。

　――あんなに……ぼくがまるでかなわなかった魔物を、一人で倒すぐらい、強いのに

　女の子なら、ましてやこんな小さな女の子なら、十分すぎるぐらい強いのではないだろうか、そう思い、単純な疑問を口にすると……アリーナは急にぱっと輝くように笑って答えた。

「わたしね、強くなりたいの。
　世界一、強くてかっこいい人に！
　だからね、もっとたくさん修行して、もっともっと強くならなきゃいけないの！」

「……世界一？　強くなるの？
　……女の子なのに？」

　楽しそうに、勢い強く話すアリーナとは裏腹に、クリフトは勢い弱く、疑問をそのままアリーナに返す。

「あら、そんなの関係ないじゃない。
　女の子だから、強くなっちゃいけないなんておかしいわ。

　お母さまもね、よく言うの。
　アリーナは、今のうちからたくさん運動して、たくさん強くなってねって。
　体が弱いと、たくさん迷惑かけちゃうからって」

　――また「お母さま」だ

　クリフトがそう思っていると、アリーナはさらに言葉を続ける。

「……わたしが強くなるとね、お母さま、ほめてくれるの。
　気分が悪くて、ベッドで寝てるときもね、わたしがいろいろ話したり、
　板を割って見せたりするとね、嬉しそうに笑ってくれるの！
　それでね、言ってくれるのよ、アリーナを見てると、わたしも元気になれるわ、って！

　だからね、わたし、もっともっと強くなって
　もっともっと、お母さまを元気にしたいの！」

　……そう言いながら、拳を握るアリーナに……クリフトはなんとなく、察しがついた。
　アリーナの「お母さま」は体が弱くて――アリーナが、今自分にできることを、懸命にがんばっていることが。

　――けど……

「……けど……危なくない？」

「なにが？」

「……ケガしたら、痛いでしょ？」

　顔のケガが、体の痛みが、昨日の恐怖とともにクリフトの中でうずきはじめる。
　もう、自分はあんな目にあいたくないし……できるなら、誰にもあってほしくない。

　――それに「お母さま」だって、この子がケガしたら、きっと悲しむ。
　　　　そんなに無茶はしない方が……

　そう思い、言ってみたものの――

「そんなことないわ。ちょっとぐらい痛くても、我慢できなきゃ、強くなれないもの。
　それに、あんまり痛かったら、次からは痛くならないように気をつけるわ。
　そうしたら、その前よりもっと、もっと強くなれるでしょう？」

……アリーナは、平然とそう言い放つ。

「……でも、もっとたくさんケガしたら、どうするの？」

　それでも、クリフトが説得しようと続けると、アリーナは「そんなことないけど……」と呟いた後、クリフトを見て、明るく笑い、クリフトに顔を近づけた。

「……そのときは、クリフトが手当てしてくれればいいじゃない。
　クリフト、昨日だって自分のケガも手当てしてたし。
　手当てするの、得意なんでしょ？
　それならわたしも、ケガのたびに怒られたりしないで、もっと強くなれるわ。

　ねっ、いい考えだと思わない？」

「……そう言って姫さまは、愛らしく笑って……

　……それから、何度もまわりに秘密で手当てをしたり、
　話を聞いているうちに――気がついたら、姫さましか見えなくなってました」

　思い出すように、少しだけ顔をふせ、目を細めながら……クリフトは、そう言って優しく笑う。
　……褐色の肌をした、長い髪の女性が言葉もなく、その様子を見ていると……クリフトはとても晴れやかな表情で顔を上げた。

「……聞いてもらって、なんだか少しすっきりしました。

　……そして、わかりました。
　幼いころから、つらい状況でも、前向きに、強くあろうとしている……
　どんな状況でも、自分にできる努力を忘れない姫さまに恥じぬためにも……
　これは、自分の力で解決すべき問題だと」

　そこまで言うと、クリフトは立ち上がり……

「ありがとうございました
　……マーニャさん」

そう言って、薄暗い占いテントの中から、笑顔で明るい外へと出ていった。

　……適当に調達した大きな布と、自分とよく似た容姿の妹、占い師ミネアの水晶球を使い――クリフトに高貴な女性との相性を占って欲しい、と言われていたミネアのふりをして。……軽いいたずらをたくらんだ、ミネアの姉、マーニャは……「ばれてたか」と言いながら、体と顔に巻いていた大きな布を脱ぎ捨て、いつもの踊り子姿へと戻る。

　すると間もなく人影が……クリフトやミネア、マーニャを含めた仲間たちのリーダー……緑の髪をした若い女性が、クリフトの出ていったテントの入口から、そっと顔をのぞかせた。

「……聞いてたの？」

　見慣れた顔へ、マーニャは笑って尋ねてみる。

　――わざとじゃないわよ

　ミネアが水晶玉がないって困ってたから、ここまでさがしに来たの、そう緑の髪の女性は答え、テントに入り、マーニャに向かって手を伸ばす。

　ミネアにはマーニャが見つけて、持っててくれたって言っておくから……そう言われ、マーニャは素直に、妹より拝借した大きな水晶玉を、彼女へと手渡した。

　――いたずらもほどほどにね。家族は大事にしないと、いつ別れるともわからないんだから――

　そう言って、水晶玉を手に立ち去ろうとする、彼女の背中に――強くなったじゃない、と思わず呟き……ふっと、出会ったばかりの頃のことが、マーニャの頭に浮かびあがった。

　……それは、マーニャが彼女と会って、間もないころ。

　エンドールの街にいたときに、妹のミネアから、緑の髪の彼女が伝説の勇者だと、邪悪なる者を倒すため、自分たちを導く存在だと紹介され――そのままミネアとともに彼女の仲間となったわけだが、そのときには、その話を……頭からすべて、信じていたわけではなかった。

　……ミネアの直感や占いの腕が確かであることは、マーニャはよく知っていたが――まあ、別に悪い子にも見えないし、自分たちを養ってくれるってならそれでいいわ、その程度の認識で。

　……父を殺し、その研究を奪いとり。あまつさえ、その研究を悪用し現在強大な力をふるっている……憎き仇を打ち倒すため、頼るべき相手が……自分たちよりも弱々しく、頼りなく見えた彼女だとは……にわかには、信じきることはできなかった。

　そうして、出会って……どれぐらい過ぎたころだろうか。

　皆で宿に泊まった、ある日の夜……マーニャはこっそり部屋を抜け出す、彼女の姿を見かけたのだ。

　――なにかしら？

　たまたま起きていたマーニャは、軽い好奇心から、ばれないように彼女のあとをつけ――たどりついたのは、荒地としか言いようのない場所だった。

　……黒く、奇妙な形の木々にかこまれた、荒れ果てた広い場所。
　ところどころに転がっているガレキらしきものは、星や月の光の中、元の姿が想像さえできないような状態で。
　あたりに点々と広がる毒の沼地が、嫌なにおいと音を立て……いっそう、場の不気味さをかきたてていた。

　……マーニャがかつて見た中でもっとも荒れ果てた町、アッテムトにさえ勝るとも劣らない、悲惨な光景。
　もしもマーニャが、見知った彼女をつけてきたのでなければ……その彼女の後ろ姿すら、魔物や幽霊の類だと思っても、しかたのないほどのものだった。

　その惨状の中で、緑の髪の彼女は、急に動きを止め、立ちつくす。
　その背中に、急に不安をかきたてられたマーニャは……思わず、大きな声で彼女の名を呼んだ。

　すると、彼女はふり返り……一瞬、とても驚いた顔をして。
　それから、ああ、マーニャ……と声を出し、少し顔をゆがめ……その頭を、地面へと向けた。

　……どうしたの、とマーニャは尋ねる。
　少しして「……かと思った」と、とても小さな声が返ってきた。

　――……誰かとまちがえた？

　マーニャが再び尋ねると、彼女は小さく頷き、また、マーニャに背を向ける。

「友だち……ここで……ずっといっしょだった、友だち。
　……ずっといっしょよって、言ってた……そうだって……思って……た……」

　絞り出すような声と、震える肩から、痛みが伝わってきて――それで、わかった。
　ここが、彼女にとって大事な……とても大事な場所だったことが。
　そして、辛い形で、その大事な人をなくしたこと――それを、感じて。

　思わず、マーニャは腕を伸ばし……背中から、頭を抱えるようにして、震える彼女を抱きしめた。

　――一人で、泣いてんじゃないわよ
　　　　一人で、泣くの我慢してんじゃないわよ

　　　　……理由なんて、言わなくたっていい
　　　　泣きたいなら、泣いたっていいんだから

　　　　……あたしの腕や胸なら、いつだって貸したげるんだから――

　ぼたぼたと、腕に落ちてくる、熱いしずくを感じながら。
　震える彼女を、長い間、マーニャは抱きしめていた――

　……今にして思えば、どうしてあんな行動に出たのか、マーニャ自身もよくわからない。

　あの場所で――魔物に滅ぼされた自分の故郷で、拳を握り、一人、涙をこらえる彼女に、昔の……父を殺された時の自分や、ミネアの姿が見えたからなのか。
　それとも、まだ頼りない背中を丸め、一人、つらさに耐えようとする彼女を、ただほうっておけなかったのか。

　……思い出すと、なんだか少し、気恥ずかしい感じもして……見ると、彼女も同じことを思い出したのか、心なしか、顔を赤くしているように見えた。

　――……そりゃあ、毎日みんなに振り回されてるんだから、嫌でも強くなるわよ。
　　　　……特に、誰かさんにね

　緑の髪の彼女は、恥ずかしさをごまかすように、冗談めかしてそう言い……

「おかげで……たびたび思い出してるような、ひまもないわ。
　……ありがとね」

そう言って、マーニャに向けて、笑顔を浮かべた。
　マーニャもまた、それを見てにっこりと笑い――水晶玉を手に、テントから立ち去る彼女の、まっすぐにのびた背中を見送った。

　よく晴れた空の下、大きな水晶玉を手に……伝説の勇者になると予言をされ、仲間とともに旅をする、緑の髪の若い女性は――テントの外から聞いた話を、思い返しながら呟いた。

　――クリフトの話って……魔物から助けてもらって、その相手の手当てしているうちに、好きになったって……
　　　　普通、性別逆よね、と。

　……でも、それを自分が言うのも、おかしいかしら？

　そんなことを思いながら、水晶玉の持ち主のミネアのいる場所に向かい、歩く姿は……とても辛い過去と重い使命を持った伝説の勇者には……年相応の、本来あるべき少女の姿にしか見えなかった。

――fin