おまもりのはなし

　夢を見た。
　現実と、よく似て違う、不思議な夢。

　風の吹く、大きな柱にかこまれた、石づくりの広い部屋。

　現実にいるのと、変わらず見える、その場所で。
　現実と同じ、魂とひきかえに、強さを与えるという魔物のそばにいた、そのときに――魔物を連れた少年が、どこからともなく現れた。

　少年を守るように広がった魔物は、強さを与えるという魔物が放った、それなりに屈強な魔物を間もなく倒し。
　オレの戦う番が来た。

　オレは剣を抜き、足を広げ。
　少年を守る魔物へと、狙いをさだめた――

　「……テリー
　　うなされてるんですって？」

　テリーと呼ばれる、銀髪に青い帽子の少年が。
　金色の長い髪の、美しい女性――実の姉であるミレーユに、そう声をかけられたのは……天気のいい、昼下がりのことだった。

　どうやら、同室の男たちが……今現在、ミレーユとともに旅をしており、結果的に弟であるテリーとも同行している男たちが、そのことを――テリーが夜、たびたびうなされていることを告げたらしい。

　言われてみれば、目を覚ました時、そう告げられたり、心配されたり、あげくには食い過ぎたのかと的外れな質問を何度かされたことが思い出され……

　――余計なことを

テリーは内心、そう毒づいた。

　……しかし、今、まさに自分を心配しているミレーユの前でそれを口にすれば、よい反応が返ってこないことはわかりきっている。
　そのため、テリーは目をそらし、口を閉ざすことにしたが……ミレーユは、重ねてテリーに尋ねた。

　「昔の……あのころの夢？」

　あのころ。
　ミレーユの……姉の口から出たその言葉に、思わずテリーは肩を震わせる。

　男の怒声と、襲う痛み。
　次々と起こる、絶え間ない衝撃と苦痛。
　自分の中で何かが壊れる音と、体からもれる情けない声、息。
　ところどころ、とぎれとぎれに聞こえる、姉の悲鳴……

　……たすけてたすけてたすけてたすけて
　いたいいたいいたいいたいいたいよいたいんだよ
　おねがいだれかたすけてだれかだれかだれか……だれか……

　「テリー」

　……姉の静かな声で、テリーが我に返ると、すぐ近くにミレーユの体があった。

　テリーは黙って身をかえし、歩きだし……無理やりミレーユから、距離をとる。
　……姉には、自分の情けない姿を見られたくなかった。

　「待って！」

　ミレーユはテリーに駆け寄り、振り返らせると……その手に、何かを握らせた。
　……不思議なやわらかい感触に、テリーは手をひろげる。
　そこにあったのは、茶色く小さく……古びた、毛玉だった。

　テリーが毛玉からミレーユに視線をうつすと、ミレーユは静かにうなずき、言った。

　「お守りよ。夢を守る……お守り。
　　今日、眠るときはそれを握ってみて。
　　きっと……いい夢が見られるはずだから」

　そう言って、静かに笑う。
　……手にした毛玉は、とてもそんなたいそうなものには見えなかったが……目の前の姉の笑顔は、優しさと、静かな自信に満ちていた。

　……悪夢を見るのも、うなされて飛び起きるのも、テリーにはよくあることだった。

　何年もはなれていた姉のミレーユと再会し、仲間と旅をしているという彼女に同行することになり……結果的に、ほぼ同年代の男女数名と寝食を共にすることになるまでの、一人でいた長い間――それが本当に普通すぎて……そのことをとやかく言われる日が、心配される日が来るとは……思ってもみなかった。

　……思い出してみれば、一時的に身を寄せていたと言っても過言ではない魔物は――テリーがうなされ、起きるのを目撃するたび、満足そうに微笑んでいたような気がする。

　……だが、それが普通だと思っていた。
　……弱い者は、あざ笑われるのが当然。すべてではないにしても、ほとんどの者がそうするのが普通――悪いとすれば、それは無意識にでも弱みを見せた、自分なのだと。

　だから「お守り」も正直なところ、自分には必要ないとは思ったが……使わなければ使わないで、姉が悲しむかもしれず。

　……それに、ただでさえ起きて早々、人がうなされてたと言って心配し――大丈夫か、何か悩みがあるなら言ってください、きっとお役に立ってみせます、食い過ぎか、それならチャモロがいい薬を持ってたぞ、ハッ、まさか魔物にかまれた覚えは――などという反応をくりかえし、最終的に姉に告げ口するような、おせっかいな同室の男どものことだ。……使っていなければ、間もなくお守りを受け取った理由まで突き止められ、再び姉に告げ口されると考えるのが妥当だろう……そう判断したテリーは、姉に言われたとおり「お守り」を握って眠ることにした。

　……長い間、夢占い師のところに身をよせていたと言う姉のことだから、効果はあるのかもしれない。

　ぽむぽむとした柔らかい感触に、そんなことを思いながら……テリーはいつものように、眠りについた。

　――その日の夢は、いつもとは様子が違ってた。

　テリーにとって、夢のパターンはたったふたつで。
　ひとつは、かつて強さを与えるという魔物のそばにいたときにも見た――あらゆる場所で、強そうな魔物相手に戦い続ける夢。そうでなければ、もうひとつの……あの日――憎々しい、あの男の夢だった。

　姉が売られた、その相手。
　それが、家によく来ていた人相の悪い男だと……養父母を問い詰め、聞きだして。
　高ぶった感情のまま、家にあったナイフをにぎり、その男がいるという屋敷へ向かった。

　門をくぐり、中に押しいり、男を見つけ。姉を返せと叫び、殴られ、笑われ……持っていったナイフを握り、叫びながら、切りつけた。
　切りつけられ、腕を傷つけられた男は激怒し、テリーをさんざんに痛めつけ……その最中、どこからか……ミレーユがあらわれた。

　殴られ、蹴られ、地面に転がっているのが、テリーだと気づき。
　駆け寄ろうとしたミレーユは、男に殴り飛ばされて。
　それでも泣きながら、やめて、お願い、やめて、そう叫んでいて……そこからは、記憶が曖昧だ。

　覚えているのは、痛み。
　痛くて、悔しくて、つらくて、苦しくて。
　来やしない、現れるはずのない誰かに助けを求めることしかできないまま、殴られ、蹴られ、踏まれ続けた、みじめな――弱かったころの自分。

　それが苦痛とともによみがえり、起きてからの体も痛ませ、むしばむ……それが、いつものことだったはずなのに。

　……その日の夢は、おかしなことに……いつもとは様子が違ってた。

　……駆け寄ろうとしたミレーユが、殴り飛ばされる。……そこまでは同じだった。だが――やめて、お願い、やめて、そう叫びながらも……再び、ミレーユはテリーを助けに来たのだ。

　記憶と感覚が曖昧にならないまま、痛めつけられ。
　そして、突き飛ばされ、倒され、転ばされても、また助けに来るミレーユの姿を……いつもと違い、テリーは認識する。

　……ますます痛く、ますます苦しく。
　声も出ないまま――やめろ、やめてくれ、そう心で叫ぶ。

　もういい、もういい、やめて、もういいんだ。
　そんなに傷つかなくても、そんなにむかってこなくても、もういい、だから……！

　たすけて、やめて、おねがいだから……だれか、だれかねえちゃんをたすけて！

　痛くて、悔しくて、つらくて、苦しくて。
　届かないはずの叫び、思いが、自分の中で爆発したとき……男が地面へと叩きつけられる姿が、テリーの目に映った。

　立っていたのは。

　……男を殴りつけ、地面へと叩きつけ、テリーの前に立っていたのは――一体のクマのぬいぐるみ。

　……それは大きいとも小さいとも言い難い、中途半端な大きさで。よく目を凝らしてみると、ところどころ汚れ、ほつれていて……決して店に並んでいるような、新しいものには見えなかった。

　……確かに、誰かに助けを求め、助けてくれるなら誰でも――いや、なんでもいい、そう思っていたのは自分だったが……その予想を勝手に越えた光景に、テリーは目を丸くする。

　すると、クマのぬいぐるみは、倒れているミレーユの手をとり、立ち上がらせ、そしてテリーをも手をとって立ち上がらせると……両手に二人の手を握った状態で、いちもくさんにかけ出した。

　……かなり早い時点で、これが夢だと自覚し、考えることなど意味がない、そうわかってはいたものの……あまりの展開に、テリーは痛みも何もかも忘れ、ぬいぐるみに手をとられたまま、転ばないように走り続けることしかできない。

　――な、なんだ、なんなんだ、これは！

　走り、進み、息を切らしながら、思わずそんなことを心で叫んだそのとき……

　「扉が、開いたからだよ」

クマが、唐突にささやいた。

　――！？

　相変わらず、自分の先を走り続けるクマに、思わず目を凝らした瞬間……クマはあっという間に、もこもこと毛を増やし、丸く、薄青くなり……丸く小さな二つの耳を濃い色に変え、長く伸ばす。

　さらに、もこもこの体から生えた二本の腕は、倍ぐらいに太くなり、その代わりのように、それなりの長さがあった二本の足は、体と毛に埋もれるように短くなり。頭の頂点からは細く長い一本の毛をはやし、その先にまるでちょうちんあんこうのような、小さな黒い丸をつけ……あっという間に、見覚えのある、つぶらな瞳の魔物の姿へと変化した。

　――……わたぼう！？

　テリーがその名を呼ぶと、わたぼうは……もこもこの毛がない顔の部分で、にんまりと笑った。

　わたぼう。
　それは幼いころ、突然にテリーの前に現れて。
　テリーを不思議な国へ……タイジュの国へと導いた、おかしな精霊。

　同じく精霊のわるぼうに、突然さらわれた姉のミレーユ。
　ミレーユを助けたければ、とにかく、ついておいで……そんなことを言って、テリーをモンスターマスターに勝手に選び――なにかあるたび、まるで気まぐれに現れ、テリーを城やどこかへと連れていった……タイジュの国をずっと見守っているという、不思議な存在。

　最後に出会ってから、どう考えても十年以上が経ってるはずなのに、テリーの記憶と少しも変わらない姿で……わたぼうは、テリーの前に現れた。

　――……どういうことだ？

　……あらゆる意味を込め、その言葉をテリーがもらすと

　「扉が、開いたからだよ」

わたぼうはそう、先ほどのクマと同じ、謎の言葉をくりかえす。
　すると、いつの間にか、景色は変わり……どこかわからないけれど、見覚えのある、そんな部屋の天井を、テリーは見つめていた。

　――ここは……？

　一瞬のうちに移動し、そして一人、ベッドに寝かされていたことに気づいたテリーは……思わず身を起こし、あたりを見まわす。
　石造りの壁、古い扉と家具、すきま風のもたらす、木と湿気の匂い……そして、すぐに目を覚ます、全身の痛み。
　その痛みを、ひっぱり、おさえ……やわらげるように、テリーの体中には包帯が巻かれており、ひたいからは、置かれていたであろう湿った布が、小さく音を立てて落ちていった。

　寝かされていた、古いベッド。その横には、台に置かれた古い木のオケと水さしがあり、そのそばには、見慣れた眠り顔――それを認識した瞬間、テリーは、自分の包帯をめちゃくちゃに引きちぎり、その場から駆け出した。

　――なんで、なんで……！

　部屋を走り抜け、まるで突き飛ばすように古い扉を開け……屋外の、夜の闇へと身をおどらせる。
　遠く、後ろから誰かの声が聞こえた気がしたが……ふり返る気にはなれなかった。

　――なんで、いったいなんで……！

　傷を負った手足の、体の痛みが、気持ちと体、両方から発せられる息苦しさが、叫びとともに、テリーの体によみがえる。
　けれど、叫びが、怒りが、そこにいたくないという拒否感が、体の痛みにうち勝ち……テリーは短い手足を、めちゃくちゃに振り回し、走り続けた。

　――嫌だった。

　　　　その顔が、巻かれた包帯が。
　　　　一秒、一瞬でも長く、それを見るということが……テリーは、耐えられなかった。

　しかし、ただでさえ痛みを抱えた体を、さらに痛めつけるように走り続け……長く、もつわけがない。
　当然のように、体には限界が訪れ……ふらふらと、足取りがおぼつかなくなり、テリーはついに、地面へとひざをつく。上半身を起こしたままでもいられなくなり、そのまま前のめりに手をつけ、地面に四つん這いになったテリーは……体を丸め、声をもらした。

　――……なんで、いったいなんで！
　　　　くそっ、くそっ、くそっ、くそっ！

　体と心、その両方の苦しみを、悔しさを吐き出すかのように、痛みに満ちた声を出す。
　夜の闇の中、暗い地面へと向かい、痛みとともにあふれ出る、震える叫びをぶつけていると……唐突に、視界に顔があらわれた。

　――！？

　地面から生えた、もこもこ頭につぶらな瞳――異様な状況で出現した、のほほんとしたわたぼうの顔に、思わずテリーはのけぞり、しりもちをつく。

　すると、まるで水面から飛び出したかのように、難なく地面から飛び出したわたぼうは……幼い姿のテリーを持ち上げ、その場から走り出した。

　――わたぼう！？

　強引に、唐突に。
　一歩一歩その場からはなされるたびに……少しずつ、テリーの心に静けさが訪れる。

　そうして、落ち着きを取り戻し、姿ももとに……苦しむ幼い少年ではなく、現在の成長した姿に戻ったテリーは、それでも自分を持ちあげ、走り続けるわたぼうに尋ねた。

　――……どういうことなんだ、わたぼう

　すると、わたぼうは

　「だって、扉が開いたから」

また、そんなことを言い……

　「だから、ボクはやってきた
　　やっと、やってこれたんだよ、テリー」

……そう、つけ加えた。

　――扉……？

　何度も繰り返された『扉』という言葉。
　わからないまま繰り返されたその言葉に、テリーは当然の疑問を返す。

　すると、わたぼうは立ち止まり、持ちあげたときと同じ、まるで重さなど感じさせない動作で、テリーをおろすと……静かに立ちあがったテリーに対面する形で、普段は位置のわからない首を使い、うん、とうなずく。

　気がつけば、あたりの景色は消え……何もない、薄闇があたりをかこんでいた。

　――扉とは……どういうことだ。

　テリーが重ねて尋ねると、わたぼうはぴょんと後ろに飛びのき、テリーから少し距離をとり……自身の太い腕を、ぶんぶんとふりまわした。

　――！？

　急な動作に、テリーがとまどっていると、まるで煙をかき消すかのように、あたりの薄闇は晴れていき……真昼のような明るさと、乱立するいくつもの扉が、その姿をあらわした。

　――！

　「……これが扉。
　　タイジュの国やマルタの国や、キミたちが旅する夢の世界に、つながる扉。

　　……そしてキミの過去に、たくさんの出来事につながる記憶の扉」

　さまざまな大きさの、扉としかいいようのない、いくつもの長方形たち。
　それらは、テリーを中心にして広がったかのように、全方向に点在し……その扉の上部を、わたぼうはぴょんぴょんと飛び跳ねる。

　「……ここは、キミの心の世界。
　　……キミの夢の分岐点なんだよ、テリー」

　宝石のついた豪華な扉、ひどく質素な板の扉、頑丈そうな鉄の扉、ごく平凡な木の扉……そんないくつもの扉の上を、バネのついたおもちゃのように飛び跳ねながら……わたぼうは静かな声で、言いきった。

　――夢の……分岐点？

　あまりにも普通に、あまりにも当然に。
　まるで青空のもと、今日はいい天気だ、そう言うかのように告げられた不可解な言葉を、テリーは思わず繰り返す。

　「そうだよ、テリー。

　　……ほら、これ。これがキミたちが旅をしてる、世界の扉」

　しかし、テリーの様子とは裏腹に、わたぼうは平然とそう言って……無数の扉の中から、ひときわ大きな扉の前に着地した。
　それは大きく、たくさんの細工や装飾がほどこされた、豪華な扉で……その下には、カギ穴のついた錠前と、それにつながった、長い鎖が落ちていた。

　「……一番大きく、一番たくさんの人が集まって、
　　現実とよく似た形になってる世界。

　　……だから、扉もこんなに大きい。
　　ほとんどのみんなは、無意識のうちにここを選ぶ。

　　……だけどね、テリー。
　　夢の世界は、一つじゃない。

　　……もっとたくさんあるんだよ。
　　ボクやボクたちがいる、タイジュの国みたいにね」

　しかし、わたぼうは……嫌でも目につく鎖には触れず、再びぴょんと飛び跳ねると、また扉の上をわたり、踊るようにまわり続ける。

　「そして、キミは、キミたちは……
　　大きな階段を使ったり、旅の扉を使ったり、天馬のつばさを使ったり。

　　そうして大きな夢の世界と、現実の世界を行き来してるけど……
　　本当はね、あれはちょっと、特別なんだ。

　　本当はね、こうやって……眠って、心の奥深くの世界へ行って。
　　そこから扉を選んでくぐって進むのが……夢の世界への、正しい行き方なんだよ」

　飛び跳ねながら、そこまで言うと。
　先ほどよりは小さいものの、かなり大きく、木目のような模様が浮かんだ扉の前へ、わたぼうは着地して……先ほどと同様に、落ちている鎖は無視して、木目の扉を見上げた。

　「ほら、これ。
　　これがボクの、ボクたちの……タイジュの国へ続く扉

　　……少し、においがしてるだろ？
　　タイジュの国の、樹木と風と……緑と魔物の、あのにおい」

　わたぼうがそう言った途端、さらに辺りが明るくなり……心地いい風とさわやかなにおいが、テリーの周りを通り過ぎる。　

　……タイジュの国の名の通り、人々が住む大木が、葉っぱが固まってできた、すがすがしいにおいのする緑の大地が。青い空と星の輝き、そして魔物の鳴き声が……うっすらとテリーの中によみがえり……わたわたっと、わたぼうが嬉しそうな鳴き声をもらした。

　「……うれしいな、テリー」

　そう言って、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、今度のわたぼうは、テリーへ近づく。

　「ずいぶんと、昔だから。
　　……キミには、とてもたくさんのことがあったから。

　　……忘れられてても、嫌われてもしかたない、そう思っていたけれど。

　　でも、キミは……覚えててくれたんだね、ボクのこと。
　　タイジュの国があったこと。

　　……あのね、テリー。
　　ボクはうれしかったんだよ。
　　キミがタイジュの国へ来て……タイジュの国の人たちの、ボクの力になってくれたこと。

　　タイジュの国で、たくさんすごしてくれたこと。
　　がんばってがんばって、一番のマスターになって……新しいボクを生み出す、力になってくれたこと。

　　……だからね、決めてたんだ、テリー。
　　もしキミになにかあったら、扉をくぐって、絶対、キミを助けようって」

　――オレを……助けに？

　「そうだよ、テリー。
　　タイジュの国の人たちも、タイジュの国に来た魔物も、キミを好きになってはいたけれど。

　　タイジュの国のある世界から、心の――世界の扉を、くぐって、進んで、飛びまわれるのは……
　　ボクたち精霊、それにボクら精霊が、特別選んだ相手だけ。

　　それ以外の人や魔物は……行き来することも、声を届けることもできない。
　　どんなに行きたくても、行くことができないし
　　どんなに叫んでも、壁にはばまれ、声を届けることができない。

　　……だから、ボクしかいなかった。
　　タイジュの国が受けた恩。
　　それを返せる相手はね」

　どくん。
　助け、その言葉に――動悸とともに、痛みの光景が、よみがえる。

　男の怒声と、襲う痛み。
　次々と起こる、絶え間ない衝撃と苦痛。
　自分の中で何かが壊れる音と、体からもれる情けない声、息。
　ところどころ、とぎれとぎれに聞こえる、姉の悲鳴……

　……たすけてたすけてたすけてたすけて
　いたいいたいいたいいたいいたいよいたいんだよ
　おねがいだれかたすけてだれかだれかだれか……だれか……

　即座によみがえった、その痛みに――思わず、テリーは口をつぐむ。
　わきあがったその怒りと疑問が……テリー自身、身勝手だと、わかっていた。

　――つらかった、いたかった、くるしくて、こわくて、いやで……こわれたくなかった。

　――助けるというのなら――なぜ、あのとき助けてくれなかった？

　わきあがり、こみあがり。
　けれど、口にせず、目をそらし、閉ざそうとしたその言葉。
　だがそれが……まるで聞こえているかのように、わたぼうは悲しげに呟いた。

　「……ずっと、来られなかったんだ
　　だって、扉が閉まっていたから」

　――……閉まって、いた……？

　少し、間があって。
　少しだけ落ちつき、少しだけわたぼうの言葉を理解しようとしたテリーは、わたぼうへと聞き返す。
　わたぼうは、足もとにあった……先ほどまで触れようとしなかった、錠前のついた鎖を拾い……テリーにひとつ、うなずいた。

　「これはね、テリー。
　　キミの心のカギと鎖。……キミが扉を、心を閉ざしたそのなごり。

　　キミは扉に自分で、カギをかけた
　　……そうしなければ、いけなかった」

　――……？

　意味がわからず、軽く眉をひそめるテリーに……わたぼうは静かに言葉をつむぐ。

　「……初めてこの扉が閉ざされたのは、キミがもとの世界に戻った後。

　　タイジュの国にやってきて、長い間、タイジュの国で過ごしてくれて。
　　一番のモンスターマスターになって、ミレーユを助けて、もとの世界に戻った……その後のこと。

　　……キミのおとうさんとおかあさんが、死んでしまったときだった」

　おとうさんと、おかあさん……その言葉とともに、テリーの中で、そして外で。
　色のうすい、それでもとても幸せな記憶が……ゆるやかに流れ始める。

　両親がいて、姉さんがいて。
　暖炉のある、木の床の家で……恐いことは一人になることと、怒られること、そして食卓に出てくる苦手な食べ物、それしかなかった。

　……たくさんのものが、手に入って。
　これから先、手にしたものは何も消えない、なくしてもすぐに次が、新しいものが手に入る。
　誰も死ぬなんて、なくなるなんて、あるはずない――そう勝手に信じていた、そんな幸せなころの記憶。

　そんなある日、両親が留守の晩。
　タンスからわるぼうが現れ、嫌がるミレーユを、自分勝手に連れて行き。
　同じタンスから出てきた、顔以外の形がわるぼうと同じ、けれどわたわたと呟いた、つぶらな瞳のわたぼうに……ひどく適当に導かれ。
　とにかくそれを追いかけ、タイジュの国へたどりつき……モンスターマスターとして、たくさんの時間を過ごした。

　……ミレーユのことは、もちろん、ずっと心配だったけれど。
　それでも、魔物と、タイジュの国で過ごすのが、いくつもの世界を冒険するのが、とてもとても楽しかった。
　元の世界に戻るとき、これでタイジュの国での時間が終わるのが、とてもさびしかった――そんな記憶。

　――けれど、両親が死んでしまって。
　暖炉のある家も追い出され。
　さびしくて悲しくて、足が痛くておなかがすいて、どうしていいのかまるでわからなくて……姉を困らせるとわかっていても、男の子でしょ、そう言われても、泣くのを止められなかったころの記憶――

　「……キミにはミレーユがいた。ぬいぐるみのクマもいた。
　　他にも家族を亡くした人を、一人でなく知っていた。
　　別に、何も、自分だけが悲しいわけじゃない、そんなことはわかってた。

　　――けれど、そんな理屈じゃなく。

　　キミは、悲しくて悲しくて、どうにもならなくて。
　　夢を見る気に……タイジュの国に来る気に、なれなくなってしまった。
　　……だから、扉は閉ざされたんだ」

　ばたん、音を立てて、タイジュの国への扉が閉まる。
　その上に、勝手に鎖が巻かれていく。
　……そんな景色が、そんな光景が。
　テリーの中で、浮かび上がった。

　「……ボクたち精霊は、強くて弱い。
　　……強くもあるけど、とても弱くもあるんだよ。

　　……相手が心を開かなければ、心の扉を閉じてしまえば、姿を見せることも、さわることもできない

　　……だからボクは……助けに来ることが、できなかった」

　――暗くて、寒くて、怖かった。

　大好きな家を追い出されて、足が疲れて、痛くて、じんじんしてきて。
　どこへ行ったら休めるのか、どこへ行ったらいいのか、まるでわからなかった。
　最初は励ましてくれていた姉も、だんだん口数が少なくなり、暗い顔に、ゆがんで泣きそうな顔になっていき……もう行くところなんて、この世に希望なんてないんだと、ひたすらに心が暗くなった。

　……けれど。

　「けれど、やっぱりキミにはミレーユが、おねえちゃんがいて。
　　……そして、新しいおとうさんとおかあさんができた」

　そんな自分たちを見つけ、つれて帰って。
　ご飯をくれて、ベッドをくれて、家をくれた。
　まったく知らない、けれどやさしかった、おじさんとおばさん。

　その顔は、死んでしまったおとうさんでも、おかあさんでもなかったけれど。
　それでもやさしく、頭をなでてくれたり、ほめてくれたり、ご飯をくれたり……ケンカをすると、叱ってくれた。
　姉のミレーユよりも、ずいぶん後になったけれど。
　おとうさん、おかあさんって呼ぶと……喜んでくれた、新しい両親の記憶――

　「前よりお腹はちょっぴりすいてたけれど。
　　それでもおとうさんとおかあさんと、ミレーユと。
　　……一緒にいられた。楽しかった。幸せになった。
　　……閉ざされた扉を、また開いてくれる日が来そうだった。

　　けれど、そんなとき、ミレーユがいなくなった」

　……生活は苦しくなり、国はどんどん悪くなり、外へ遊びに行けなくなり、お金が、食べるものが、とうとうどこにもなくなった。姉が急にいなくなり、自分たちを助けるために、悪いヤツらのところに行ったと聞いて……両親が止めるのも聞かず、武器を持って家から飛び出し……めちゃくちゃに、傷つけられた。

　目を覚まして、家にいて、ケガの手当てがしてあって。
　その横には、自分を看病するための道具と、徹夜で看病していたのであろう、やつれた両親の寝顔があって。
　……それが、耐えがたくて。
　巻かれていた包帯を、手当てをされたという証拠を、めちゃくちゃにやぶいて、家から飛び出した、あの日の記憶――

　「……キミが悪いんじゃないよ、テリー」

　いくつもの流れる景色、わたぼうの言葉に呼び起こされる、テリーの記憶の風景の中で。
　わたぼうは、静かに鎖を握る。

　「……あのときのキミには、そうすることしかできなかった。

　　ミレーユが黙っていなくなったこと。
　　自分を裏切るはずがないと思っていた、おとうさんとおかあさんのしたこと。

　　初めて刃物で人を傷つけたこと。
　　そしてそれでも……武器を持っても勝てず、一方的にやられるだけの自分の弱さ。

　　すぐそばにミレーユがいたのに、泣いていたのに、助けることができず……
　　他に人がいたのに、見ていた人もいたはずなのに、誰も、誰も助けてくれなかったこと。

　　……目が覚めたとき、家にいて……
　　手当てがしてある、すぐそばに、おとうさんとおかあさんが……いたことに。

　　……それに、あのときのキミは……耐えられなかった。

　　おとうさんとおかあさんは、やっぱり悪い人じゃなかった。
　　倒れていた、傷だらけのキミを助けようと手当てして、看病して
　　……ずっとそばについているほど、優しい人だった。

　　……それなのに、弱いから、お金がないから。
　　ミレーユを、おねえちゃんをあんなひどいヤツらに売ったと言うことに……
　　キミの心は、耐えられなかった。

　　だから、その場から……街から逃げだし、扉に鎖とカギをかけることを……
　　夢の世界へ、タイジュの国へ、過去へ続く、今を見つめる……
　　いくつもの心の扉を、閉ざすことを選んだ。

　　……これ以上、傷つくことに耐えられなくて。
　　今もまだ、優しい人だと、わかったことが……
　　今もまだ、そんなおとうさんとおかあさんを、自分が好きであるということが。

　　こんなにも弱く、つらく、みじめなのに
　　国一番のモンスターマスターとして自分が強いと慕い、信じる人がいることさえ……
　　キミの心を傷つける。

　　――だから、キミは心を閉ざした。
　　閉ざした扉に、鎖を巻いた。
　　……そして、弱さのせいにした。

　　何もかも、自分が弱いから悪いんだ、そう思うことにした。

　　強くなければ生きていけないんだって、世界の全部は、そうなんだって。
　　こんな辛いもの、こんな弱いもの、全部を捨てて……強くならなきゃ、いけないんだって。

　　そのために、キミの心の扉は――他のすべてを鎖に閉ざし、たったふたつの世界につながった。

　　ひとつは、強くなるための扉。
　　夢の中でさえ、休むことなんか許さない戦いの扉。
　　いくつもの世界につながり、いくつもの強敵と戦うためだけに
　　夢の世界の危険な場所へ、タイジュの国やマルタの国の……
　　どこでもいい、危険な場所だけを選んで開く、とてもとても危険な扉。

　　そしてもうひとつは、たとえ何があっても、歩みを止めないための……
　　自分を傷つけ続ける、辛い過去だけへと続く扉……」　

　無数の扉のうちの二つが、隣り合った、鎖の落ちてないただ二つの扉が、ガタガタと音を立てる。
　わたぼうは静かにそこまで移動すると、そっと腕をそえ、その扉の揺れを止めた。

　「……キミが悪いんじゃないよ、テリー
　　あのときのキミは……生きていくために、そうすることしかできなかった」

　揺れが止まり、音が止まり、静寂が落ちた扉の世界に、わたぼうの言葉が響く。
　いくつもの記憶が、いくつもの傷が、そして幸せだったころの思い出が……流れを止め、うすれ……テリーは言葉もなく、扉を背にし、ふりかえる、わたぼうの姿を見つめていた。

　「……ごめんね、テリー」

　わたぼうが、小さく頭を落とす。
　……テリーには、なぜ謝られたのかが、わからなかった。

　「……キミの声が、聞こえてた。
　　誰でもいいから助けてほしい、キミはそう叫んでいたのに。

　　……なのにボクは、キミの扉を開けなかった。
　　キミの力になれなかった。
　　それがとても、悔しかった。

　　……だから……扉が開いた今、キミを助けたかったんだ。

　　どんな姿になったとしても。
　　クマになっても、地面から生えても。
　　……キミを助けに来たかった」

　男を倒すクマの姿。
　地面から生えた、異様な頭。
　助けに来られたということさえ、かすんでしまうような……実際かすませてしまったその姿に……もう少し、選べなかったのだろうかとテリーは思わず内心呟く。
　
　「……過去は変わらない、変えられない、そんなことはわかってる。
　　どんなことをしたって、どんなにキミの心の痛みをかき乱し、かきまわしたって
　　あの日の出来事は変わらない……そんなことも、わかってる。

　　だけど、テリー。
　　……キミが助けを呼んでいるのに、キミが痛いと叫んでるのに、何もできないのはもう嫌なんだ。

　　だって、扉は開いた。
　　――キミは扉を、自分で開いてくれたんだから」

　――……開いた……オレが？

　テリーの放つ、何度目かの疑問の言葉に。
　わたぼうもまた、今回、何度目かの同じ動作を……頭から生えた毛と丸を揺らし、こくんとひとつ、うなずいた。

　「そうだよ、テリー。

　　……キミは強くなった。自分を傷つけて、自分を追いこんで。
　　……それでも力を求めて、世界を旅して、力をつけて、強くなった。

　　そして、ミレーユと、仲間と出会って。
　　キミはまた……誰かを信じてもいいって、心を開いてもいい人が……

　　戦いの中にあっても、つらいことがあっても……
　　自分を決して裏切らない人がいるのかもしれない、そう思ってくれた。

　　だから、心のカギがゆるんだ。
　　閉ざされていた、扉が開いた。
　　……ボクもこうして、また会いに来ることができたんだ」

　わたぼうの言葉に、思わずテリーは眉をひそめる。
　……姉はともかく、自分の仲間に――それほど、そこまでの信頼を寄せた覚えは……正直なかった。

　「……だからね、テリー。
　　ボクは、これからキミを、ずっとキミを助けるよ。

　　キミが嫌だって言っても、違うって、必要ないって言っても。
　　キミが過去に苦しんで、心で助けを呼ぶのなら。
　　ひっかきまわして邪魔をして……思い出せないようにしてあげる。

　　……だって、キミがそれを望んでる。
　　ここはキミの心の世界。
　　キミの望みがすべての世界。

　　言ったよね、精霊は、心の扉が開かなければ……姿を見せることも、さわることもできない。

　　だから、ボクが……こうして、ボクがキミの前に現れてることが
　　キミが助けを望んでる、その証拠なんだから」

　よく聞けば、否、よく聞かなくても……強引に、なかなかに無茶なことを言いながら、また扉から扉へと跳びまわり……わたぼうはにんまり笑う。

　「それとね、テリー。
　　ずっと渡したかったものがあるんだよ」

　――？

　「キミへの届けもの。
　　キミが受け取らなきゃいけない、贈りもの。
　　……キミが強くなるための、プレゼント！」

　そう言って、わたぼうが両手を広げ、テリーの前でぴょんとはねると……まぶしい光があたりに広がり、世界は白く染められた。

　……頭上には、抜けるような青い空が。
　足もとには、葉っぱが集まり、かたまってできた、青々とした大地が。

　よく見覚えのある……かつて長い時間を過ごした、タイジュの国の牧場の真ん中に、テリーは立っていた。

　タイジュの国で、テリーを案内した老人が。
　牧場で、魔物の世話をしていた少年が。
　ひげの生えた大人のはずなのに、いつもひどく大人げなく、騒がしい王様が。
　……そして、テリーをマスターと慕い、なつく魔物たちが。

　現れたテリーに向かい、嬉しそうに駆けよってきた。

　次々とあびせられる、喜びの声が、魔物たちのなき声が――テリーの中で、さらに鮮やかに、タイジュの国の姿をよみがえらせる。

　見上げても頂上の見えない、大きな樹と、そこにかかる雲たち。
　下に小さく見える、緑の山や色とりどりの街。
　何人も歩くことができる道になっている、広い幹についた、太い枝。
　それらをつなぐ、いくつもの長い階段。
　幹の中にできている、石造りの壁の上に、葉っぱや花がたくさん広がる、タイジュの城。
　かたくて丈夫な、明るい緑色をした葉っぱの大地。
　ぬけるような青い空と、下に広がる、雲の海……。

　牧場で、自分を笑顔で迎えてくれる少年。
　テリーが来る前から牧場にいて、たくさんの話を、時にはアドバイスをくれる魔物たち。
　テリーの姿を見ると、喜んで飛びついてくる魔物たち。
　怒ったり騒いだり、いそいそしたり、とにかくいつも騒がしいタイジュの王さま。
　ときに戦い、ときに強さを認め合った、タイジュの、そして他国のマスターたち。
　傷を回復してくれる、神父の姿をした大臣が、不思議な格好をして城にいる、謎のピエロたちが、テリーを歓迎し、応援してくれた、城の、タイジュの街の人々の顔が……いくつもよみがえっては、嬉しそうに笑い、喜び……通り過ぎた。

　……おそらく、すべてを覚えているわけではない。
　けれど、それでも。
　……楽しかった。幸せだった。

　負けたり、倒れたり、悔しいことがあったとしても。
　それでも次がある、きっと勝てる、今度は絶対負けない……そう、希望を、友だちを、周りの人を、仲間になった魔物たちのことを……信じることが、できていた。　

　自分が忘れてしまっていた、そんな無邪気な強さを、明日を無条件に信じられる強さを持った自分が……確かにそこには、残っていた。

　――……そうか。

　かつて見た夢の結末、そしてその理由を……過去の記憶から思い出し……テリーは一人、理解した。

　何故あのとき、あんな夢を――魔物を引き連れやってきた、過去の自分に……負ける夢を見たのか。

　それは自分が……昔より、弱い心になっていたからなのだと。

　そのときにも得たはずの、けれど忘れていた……たぶん、どこかで忘れようとしていたその答えを……テリーは今度こそ受け入れた。

　「……やっと、届いた」

　静かに、わたぼうの声が響く。
　気がつけば、懐かしい景色や人々の姿は消え……薄闇の世界に、戻っていた。

　「ずっと……届けたかったんだよ。
　　みんなから預かった、テリーへの気持ち」

　――オレへの……？

　口には出さなかった、その言葉が聞こえるかのように。
　わたぼうは、ひとつ大きくうなずいた。

　「そうだよ、元気かな、ありがとう、どこにいるの？
　　待ってるよ、会いたいな、強くなったぞ、また戦おう……そんな、みんなの気持ち。

　　言ったよね、この世界とボクらの世界を渡れるのは
　　精霊のボクや、精霊に特別に選ばれた人間だけだって。

　　……だから、テリーへの気持ちが全部ボクのところに来ちゃって……大変だったんだよ？」

　言葉とは裏腹に、とても大変そうには見えない顔で、わたぼうは笑う。

　「……受け取ってくれてありがとう、テリー。
　　扉を開けてくれて……またボクと会ってくれて、ありがとう。

　　……それから……この子にも、ありがとう。
　　……扉を開けるのに、協力してくれたこの子にね」

　そうして、わたぼうは白く光り……光が収まったころ、そこには……子どもの字で『ミレーユのもの』と書かれたクマのぬいぐるみが……残っていた。

　目を開けると、まぶしい朝の光が、窓から入っていて……宿の天井が、目に入る。

　身を起こし、あたりを見まわすと、無防備を通り越し、若干見苦しい、見知った同室の男たちの寝姿があり……現実だ、まちがいないとテリーはそこで確信した。

　――ありがとう、テリー

　……わたぼうの言葉が、どこからか高く響き……今まで見ていた夢と、そしてかつて、確かに共にいたわたぼうが頭の中で蘇り……

　――……相変わらずだな。

テリーはそう呟き、一度起こした身を、再び倒した。

　……思い返してみれば。
　出会ったころからわたぼうは……のほほんとした顔で、いつも勝手なことを言いつづけ。そして言い終わると、だいたい勝手に去っていった。

　――……そもそも、謝られるいわれなど、何もない。

　わたぼうが言うことが、本当だったとするならば。
　……辛いことに直面し、心を閉じたのは、自分自身の責任だ。

　そしてわたぼうは……いつも勝手だったが……それでも本当のことしか……言わなかった。

　――……世界を憎み、心を閉じたことは、確かにあった。

　……いや、今でも……正直、心を開いているとは、言い難い。
　けれど、その『世界』に……わたぼうや、タイジュの国までが含まれてるとは、自分では思ってもいなかったし……それを勝手に閉じ、勝手に開いたからと言って……謝られる筋合いも、礼を言われる筋合いも……あるはずがない。

　――謝るのも、礼を言うのも……むしろ、自分の方だった。

　助けてほしいときには、誰も助けてくれない――……そう思い、言い続け、勝手に自分を傷つけ続けていた自分に。

　……本当の両親の愛情を、タイジュの国で過ごした人たちの友情を。本当につらいときに、ミレーユが、両親が助けようとしてくれた、わたぼうが、助けようとしてくれたことを――勝手に記憶をのぞき込み、勝手に記憶をまとめあげ、勝手に語ることで……無理やりにでも、思い知らせてくれた。

　……それがいいことなのかどうか、そしてそれで、残っている傷がすべて癒えるかどうかはまた、別の話だ。だが、それでも……いつもの寝起きほどは苦しくはなく……悪くはない、そう思えた。

　手の中にあり続けていた、茶色い毛玉に、目をやる。
　……遠い遠い、昔の思い出。

　暖炉のあった、あたたかい家。
　……まだ本当の両親が、生きていて。
　姉がふたつの……おそらくつがいの、クマのぬいぐるみをプレゼントされ。
　自分も何かもらったはずだが、それがとても、うらやましくて。

　そして、やっかみ、うらやみまじりに、貸してほしいとひっぱった自分と、渡したくない姉とでケンカになり……結局、しっぽを破いてしまい、姉は泣きじゃくり、自分は思いっきり怒られた。

　……そう、それで姉はあてつけのように、ぬいぐるみふたつともに「ミレーユのもの」と名前を書いて。
　自分は手にしてしまったやけに握りこごちのいいしっぽだけを、にぎって眠っていた……そんな思い出。

　――なくしたと思っていたが、姉さんが持っていたのか――

　なんとなく、ぽむぽむと何度か握ってみる。
　……その感触は、どことなくわたぼうのそれに似ている気も……しなくもなかった。

　「おはよう、テリー」

　未だ寝息を立て、いびきをかき続ける、男たちの騒音から逃れるように。
　テリーが部屋の外に出ると、ミレーユが声をかけてきた。

　「……ああ、おはよう」

　「……どう、いい夢は見れたかしら？」

　ミレーユの質問に、テリーは何も言わず……ただ黙って通り過ぎる。

　「……もう」

　口ではそう言ったミレーユだったが……テリーの口元に浮かんだ笑みと、手の中のクマのしっぽを見て……自分もまた、優しい笑みを浮かべ……その日の朝は、とてもさわやかなものになった。

　……数十分後、つぶらな瞳の青い魔物が、仲間たち、皆の夢の中に現れ「テリーの心を開いてくれてありがとう」などと言ってまわったと判明し……テリーが仲間から質問攻めにされるなど、想像もつかないほど――気持ちのいい朝だった。

――fin