おもいのこし

　「――聞かせてくれ、エリーヌは……オレの相棒は、今、何て言ってる？」

　――にぎわいの絶えない、夜の酒場で。
　カウンターに座った精悍な男は、隣に座した若者に、低い声でそう尋ねた。

　……聞かれた相手。
　男と同様、年代を感じさせる椅子に座った、まだどこか、その技量に似つかわしくない幼さを残した若者は……男の目を、まっすぐに見つめた。

　――後の英雄、一説によるとその正体は、空から舞い降りた天使とも言われている冒険者たち。

　……そのリーダーとして伝えられている若者が、カラコタ橋の酒場で、ある依頼を受けたのは……男の質問から、数日前のことだった。

　男の名はデュリオ。
　貧しい者、すねに傷持つものが集まるカラコタ橋の酒場を拠点に活動する、盗賊団の頭であり……かつて若者たちの資質を見抜き、自らの率いる盗賊団に勧誘したこともある。

　だが、盗賊団と言っても、その活動は慈善的で、魔物や悪党から盗んだ品物を、貧しい人々に分け与えていることから……カラコタ橋の住人には、正義の味方、守り神……義賊として、慕われていた。

　そのデュリオが、出会いと勧誘から時間を経て、さらに盗賊の腕を上げてカラコタ橋まで訪ねて来た若者たちに、数日前に持ちかけたその依頼というのが――カタキ討ちの手伝いだったのだ。

　なんでも、かつてデュリオの相棒であった女性を、卑劣な手で陥れ、殺した魔物をおびきよせるため……その魔物のねらう宝、ムーンダイヤモンドを、また別の魔物から奪ってきてほしい……依頼の内容は、そういったものだった。

　依頼を受けた若者たちは、見事その技能でムーンダイヤモンドを奪い取り、まんまとカタキの魔物をおびきよせ……デュリオのカタキ討ちは、果たされた。

　相棒の無念を晴らし、また相棒との思い出の品であったムーンダイヤモンドを取り戻したデュリオは……若者たちを、宴へと誘った。

　――今日はオレのおごりだ、ぱーっといこうぜ。

　……そのように誘われ、若者は……仲間と共に、デュリオの住むカラコタ橋の酒場での、祝いの宴に参加することとなったのだ。

　――決して衛生的とも、上品とも言い難いカラコタ橋。

　その酒場のこと、もちろん宴と言っても、決して豪華でも、上品でもなかったが……それでも、出される料理はとてもおいしく、人々はみな親しげで……最初は多少緊張や警戒の色を隠せなかった仲間たちも、時間が経つにつれ、どんどん周りと共に気分が高揚していき……ハメをはずして、楽しんだ。

　そんな中、若者が、カウンターでデュリオと並んで二人になっていたことに気がついたのは……ずいぶん、夜も更けてからのことだった。

　……思わず周りを見渡し、仲間の居場所を確認した若者に

　「……心配すんな、あんたと二人で話がしたいって、ヤツらに頼んだだけさ。
　　……取って食ったりしねえよ」

……少し顔を赤くしたデュリオは、そう笑う。

　確かに、見まわした若者の目に映った仲間たちの表情は、どれも楽しそうで……特別、変わった様子はない。
　それに、そのように言われ、まだ様子をうかがい続けるのは……デュリオに対して失礼だろう。
　そう判断した若者は、肩の力を抜き、デュリオの方に向きなおる。

　すると、デュリオは……元より鋭い目つきを更に強くして、言葉を発した。

　「……実は、あんたに聞きたいことがあってな。
　　……あんたは天使だ、死者を見て、話もできる……そうあんたの仲間が話していたが、本当か？」

　……旅の中、若者が何度となく、聞かれたことのある質問。

　相手によってその答え方は選ぶべきだ、そのように旅の中で学んではいたから、どのように答えるべきか、若者は少し考えたが……デュリオの目は、真剣で。
　……この目にウソやごまかしは通用しない、そう感じた若者は……はっきりと、肯定する。

　すると、デュリオは……一瞬、何かを思うように目を細め……それから再び、若者に尋ねた。

　「――じゃあ、聞かせてくれ、エリーヌは……オレの相棒は、今、何て言ってる？」

　……若者は、考えた。
　この質問にどう答えるのが……デュリオに対して、一番いいのだろう、と。

　けれど、そう考えながら見つめたデュリオの瞳は……先ほどのままで。

　――やはり、ウソやごまかしは通用しそうにない。
　そう判断した若者は、少しだけ、選ぶべき言葉を考えて……それから、答えを口にした。

　――わからない

　……若者の答えに、デュリオの鋭い目が、少し見開く。
　……若者は続けた。

　――なぜなら……
　　　　エリーヌの……あなたの相棒の姿は、どこにも見えないから、と。

　……それが、真実だった。

　若者が、初めてデュリオに会った日も。
　その盗賊の技能を見こまれて、初めて依頼を受けた日も、その依頼を達成したときも。
　数日前に再び依頼を受けたときも、デュリオがカタキ討ちを果たし、二人の思い出の品であるというムーンダイヤモンドを取り戻したそのときでさえ……エリーヌと呼ばれる女性の姿は、どこにも見えなかった。

　その想いのかけらさえ、若者には見つけることができなかった。

　若者の答えに、デュリオはどこか呆然として……その様子を見て、若者は静かに尋ねた。

　――エリーヌは……強い人だったか、と。

　虚をつかれたデュリオは、答えに戸惑い……それから、ああ……エリーヌは……強かった、悪党なんかじゃない、皆のために……正義って呼ばれる盗賊になろう、そう言いだしたのもあいつだった……そんな言葉をもらす。

　若者はそれを聞き……やっぱり、と呟く。
　デュリオがその言葉の意味をたずねると……若者は、ゆっくりと語りだした。

　――死者が……既に肉体を失った魂が、この世界にとどまるのは、とても大変なこと。

　　　　人間が大地に足をつけているように……
　　　　どれほど高い場所にいても、足場から外れれば地面へと吸いこまれてしまうように……
　　　　何もしなくとも、肉体を失った魂は少しずつ天へと召されていくこと。

　　　　天使はその魂を説得し、天へと導くこともあるけれど……
　　　　それでも本当に強い思いを持った人には、その説得すら効果がなく……
　　　　この世界に、地上にとどまり続けているのは、よほど強い思いが……
　　　　よきにせよ悪きにせよ、強い心残りがある人だけだということ――

　……そこまで説明して、一息つくと……再び、デュリオに向けて語りだす。

　――だから、エリーヌは……あなたを心から、信じていたんじゃないか、と。

　……意味がつかめず、少し眉をひそめるデュリオに……若者は、続けて言葉をつむぐ。

　――もちろん、罠にかけられ、思いもよらぬところで命を落として……
　　　　悔しい思いも、心残りも、きっとあったと思う。

　　　　けれど、それでも……自分の恨みより、心残りよりも……あなたを選んだ。

　　　　たとえ自分がいなくても、あなたは……自分を、忘れないでいてくれる。
　　　　……果たせなかった無念も、叶えたかった夢も……
　　　　自分の盗賊としての誇りを、魂を、受け継いで……叶えてくれる。

　　　　……そう思ったから、そう、あなたを心から信じることができたから――
　　　　だから……この世にいつまでもとどまることなく――心残りもなく……
　　　　旅立っていったんじゃないか、と。

　――エリーヌが本当に強い人だったなら……強い心の持ち主だったなら……
　　　　きっと、まちがいない、そう……思う。

　……そう、若者が言葉を終え……二人の間に、少し沈黙が落ちた。

　……うまく伝わっただろうか、若者がそう思っていると……デュリオは、急に笑い始めた。
　最初は低く、そしていつしか……涙が出るほど、大きな声で。

　「ははは、なんだよ、そりゃ……。
　　……ったく、それじゃオレはいったいなんなんだよ、ったくよお！」

　そんな言葉をもらしながら……とても、おかしそうに体を震わす。

　「……あんだよ、まったく……あいつの方が、オレよりよっぽど大人だったってか？

　　……まったく、こっちの気も知らねえで……悔しいつーか、なんつーか……
　　あーっ！女ってのはやっぱり怖えな！男や魔物なんかより、ずっと怖えや！」

　……酒場の喧噪にまぎれ、笑いながら……ときおり涙を落とすデュリオを……若者は見ないふりで、そっとグラスをかたむけた。

　……そして、夜が明けて。

　皆が泥のように眠る中、静かに酒場から外へ出て、朝のすがすがしい空気を吸い込む若者に……同様に酒場から出てきたデュリオが、背後から声をかけた。

　「……昨日は、ありがとな。

　　……あんたが天使かどうかは知らねえけど……おかげでなんか……スッキリした。
　　感謝するぜ」

　その言葉と共に見せた、デュリオの明るい笑顔に、若者も笑顔で返し……少し赤い顔のまま立ち去る、デュリオの背中を見送った。

　……天使として、学んだこと。
　それが誰かの役に立つことが、若者にはとても、嬉しかった。

　デュリオが酒場へ入ったのを見届けて……若者は、よく晴れた空を見上げた。
　とても青く、美しく……けれど、星の見えない空を見て、その場にじっと立ちつくす。

　誰かの姿、さまざまな出来事、いくつもの思い出……まるで、それらがその先に見えるかのように。
　若者は晴れわたった空をじっと、眺め続けていた……。

――fin