さかゆめ

　夢を、見た。
　目をあけたとき、泣いていた。

　頭の奥で、断片的に、水たまりのように残る記憶。
　そのやわらかな揺れを感じながら、ぼんやり、身を起こす。

　……ひどく、都合がいい、そんな夢だった。

　宿の部屋を出て、水場に向かうと、用意されたオケに水をくみ上げ、顔と口をすすぐ。

　冷たい水が、眠気を、そして夢が残した何かを流してくれることを望み、何度も水をすくいあげては顔にかけたが、なかなか思うようにはいかず、気がつけば、水は姿を消し……空のオケをかかえ、私は大きく息を吐いた。


　頬から、髪の先から落ちる水を布でぬぐいながら、私は再び、今朝の夢に思いをはせる。

　暗く、濃い空に包まれた世界。
　戦闘で、歩行で、自然と肺に吸いこむその空気さえ、どこか重く感じる、赤紫色の世界。
　その世界を、馬車を率いて、私たちは進む。

　襲いかかる魔物を切り裂き、蹴散らし、時に迷い、戻りながらも、塔に住む魔物を倒し、いりくんだ構造の城を抜け。
　そして、その奥にいる一人の男を、私たちは倒すのだ。

　長い、長い戦い。
　傷つき、倒れ、それでもまた蘇り。
　武器をふるい、炎の、吹雪の生み出す轟音を、絶え間なく耳にしながらも、その男を打ち倒し――世界に、平和が戻る。

　大地にはびこっていた魔物たちは姿を消し、仲間はみな無事に故郷に戻り――私も、ひどく幸せだった。

　……なぜ、そんなに幸せだったのかは、覚えていない。

　ただ、うれしくて、信じられないほど、幸せで……

　――けれど、泣いていたのは、そのせいじゃない。

　頭の中で、そんな声が響く。

　……ただの夢の話、それも結末すらはっきり覚えていないというのに、それでもそうだ、と私はひとり頷いた。

　あの涙は、喜びとか、幸福とか、そんなときにあふれでる、そういうものじゃなくて――

　洗ったはずの頬が、かすかにうずき、胸と首筋に、軽くひきつるような痛みが走る。

　――そう、これだ。

　頭で覚えてなくても、体は覚えていて、その答えを、はっきりと示しだす。

　――あれは、ただの悲しみ、痛みの涙。

　喜びや、幸せなどの正の感情ではなく……負の感情が生み出す、痛みをともなう、この涙だ。

　……けれど、なぜ？
　なぜ私は……幸せなはずの夢の中で、泣いていたの？

　私は、すっかり水を含み、はりつく布を頭からかぶったまま、考える。
　……結局、仲間に朝食の時間と声をかけられるまで、私はそこで、そうしていた。

　ミネアが――仲間の一人が、部屋に話をしに来たのは、その朝食後のことだった。

　今から魔界に……希望のほこらへ行くのですよね、そう言ったミネアの顔には、迷いの色が見えて――それで、私は言ったのだ。

　何か気になることがあるなら、遠慮なく言ってほしい。
　最後の戦いを前に、やれることは全部やっておくべきだと思うから、と。

　すると、彼女は言った。

　――ロザリーヒルに、行ってもらえませんか、と。

　……その名前に、私は一瞬、言葉を失う。

　ロザリーヒル、ホビット族の村。
　人間よりもひとまわり小さく、器用なホビット族が、動物や魔物と暮らす、のどかで美しい村。

　……そして、あの男……デスピサロと名乗り、魔物を率いて、人間を滅ぼそうとしている……今から戦いを挑みに行く、あの男が、かつて暮らし、自分の愛するエルフのロザリーを、欲深き人間からかくまっていた……あの村の名だ。

　――……あの、いけませんでしたか？

　私が答えないのを見てか、ミネアが少し眉をさげて声をかける。
　私は我に返ると、あわてて首を横にふり、理由を尋ねた。
　すると彼女は少し黙った後、こう答えた。

　――理由は、ないんです。

　意外な答えに、私が次の言葉を見つけられないでいると、ミネアは続けた。

　――……占いというほどのことでもないですし、
　　　具体的に何かを感じるわけでもないんですけど……
　　　行って、みたいんです。

　　　……だめですか？

　そこまで言って、少し視線を下にずらしたまま、私に顔を向ける。
　……私は首を、横にふった。

　――いってみましょう。

　私がそう言うと、ミネアはありがとうございます、と笑顔で頭を下げ、早足で部屋を出て行った。
　私も荷物をまとめ、出発の準備にかかる。

　着々と準備を進めながら、私はロザリーヒルの景色を思い浮かべ――鮮烈に蘇った光景に、また少し、戸惑った。


　ロザリーヒル、ミネアの口からその名を聞いたとき、言葉を失ったのは……デスピサロや、ロザリーのことを思い出したからではない。

　……その名を聞いた瞬間、私の中に、ある景色が浮かんだからだ。

　美しい花にかこまれた、墓標。

　その周りを悲しみに満ちた目がかこむ中、その下に眠る相手に、いつもそうしていたように、墓標の周辺を走りまわり、はねとび……そして、肩を落として涙する、小さな魔物……。

　どこで見たのか、そもそも本当に見たのかどうかもわからない、けれどひどく心に残る、そんな光景。
　景色自体は曖昧なのに、鮮烈なその印象が、目と頭の奥に浮かび、全身をかけめぐって……言葉が、出なくなったのだ。

　――夢のことといい、今朝の私は、少し、おかしいのかもしれない。

　しっかりしないと、そう呟いて、頭を振る。

　……それでも、いまだ揺れる夢の残像は、なかなか、消えそうになかった。

　――その先での出来事は……まるで、夢の続きのようだった。

　ミネアの言葉で立ち寄った、ロザリーヒルのホビット、そして世界樹に住むエルフの言葉に導かれ……立ち寄った町の祭壇には、大きく深い穴ができていた。

　その下には……洞くつのような土壁の道があり、その先に進んだかと思えば、気がつけば石壁の建物の一室の中にいて。
　見たことのある墓地、見たこともない魔物、息のできる海、溶岩の吹き出る大地……まるで、これまで冒険してきた世界をパズルにして、そのピースをバラバラにつなぎあわせたような、そんな、不思議な道のりで。

　そして最後の最後、長い長い階段をのぼり、広間を抜けた先には、夢にも見ないようなおかしな二人がいて、その二人のケンカに巻き込まれ――……

　九人がかり、ほうほうの体でなんとか勝利した私たちに、その男たちは言ったのだ。

　――楽しかった。ほうびをやろう！

　……と。
　本当に冗談のような、夢に見たと言ってなお、誰も信じないような、そんな話。

　それでも男たちの言うように、そのほうびを求め、世界樹をのぼった私たちは……一輪の花を、手に入れた。

　千年に一度咲き、奇跡を起こすという、その花。
　かぐわしい香りをはなち、その身には運命すら変える力――死者すら蘇らせる力を宿すと言われる、世界樹の花を。


　……花を手にした私たちは、馬車に帰り、話し合った。

　きっと冒険が始まってから、もっとも長い時間、私たちは話し合い――ひとつの、結論に達した。

　そして結論が出て程なく、今日はもう休もう、そう言って、私たちは宿をとることにした。

　「寝れないの？」

　後ろから声をかけられ、私は視界を暗い空から、背後に向ける。
　見慣れた長い髪と、すらりとのびる足。
　……仲間の一人、マーニャが、小さな酒ビンを手にしながら、軽く手を振っている。
　……私が軽く頷くと、「そっか」と彼女は呟き、私の横に並んだ。

　「……のむ？」

　そういいながら、彼女は酒ビンをこちらにさしだす。

　いいよ、ありがとう、私がそう言うと、彼女はすぐにビンを自分の元に戻し、口をつけた。

　「……あたしもさ、寝れなくて」

　お酒をのみこんで、吐く息とともに、彼女は小さく、そう呟く。

　……私は、数時間前の出来事を思い出していた。

　世界樹の花を、どう使うか――誰を、生き返らせるか――花を持ち帰った後、私たちは話し合った。

　最初は、まったくまとまらなかった。

　自分の希望を出す者もいたし、いやそれならば、と他の仲間を気づかう者も、仲間のことを思い、自分の意見をあえて口に出さない者もいて。

　……けれど、そうやって会議が困窮をきわめたころ、誰ともなく言い出したのだ。

　――この世界樹の花が、いくら奇跡を起こす花と言っても――長い時の流れの中、既に原型を留めていない死体や、死体のない者を、はたして本当に生前のまま生き返らせることができるのだろうか、と。

　……それが、決定打になった。

　アリーナたちのさがす、サントハイムの城の人々。

　彼らに花を使えば戻ってくるのではないか、と言う提案も、そもそも死んでいるのか生きているのか、それすら不明な彼らを、花の奇跡の力で呼び戻せるのか、と言う疑問はあったし、単純に、どこかに閉じ込められているのだとしたら……この花が、役に立つとは思えない。

　また、マーニャとミネアの亡き父親、エドガン氏。

　彼もまた、死んでから何年も経っている。仮に今、花を使って蘇らせようとしても――残っているのは、骨だけだ。
　いくら大事な父親でも、ガイコツ戦士は勘弁して欲しいわ、と言いたくなるマーニャの気持ちも、もっともだ。

　そして……シンシア。

　私の……大事な、大事な親友。彼女に使えないか、という気持ちは、確かにあったし、そう言ってくれた仲間もいた。

　けれど……彼女の死体は、どこにもなかった。

　いや、シンシアだけではない、やさしかった父も、母も、ずっと剣を教えてくれた戦士の先生、魔法の先生、いつも村の入口に立っていた、鎧のおじさん、宿のおじさん、強かったマスクのおじさん、村のお兄さん……みんな、あの、焼け落ちた村で、それが死体と、かつて生きて動いていたと判別できるものさえ、見あたらなかった。

　ただ一つ、まるで奇跡のように残っていた、シンシアのはねぼうし以外は、何も。

　……もちろん、それ以外にも、いろんな気持ちも、意見もあった。
　でも、決定打は、それだ。

　不可能かもしれない、試してみて、叶うかもしれないけど、叶わないかもしれない。
　そんなことよりは……たった一度のチャンスは、できるかぎり、可能なことに使った方がいい。

　それが、私たちの結論だった。

　……それは、きっと正しいこと。
　きっと、みんなにとっても、一番いい道。

　それは、わかっていた。だから、それでもなお、シンシアに試してみてからでも遅くはない、一度試してみてはどうだろう？……そう、言ってくれた仲間の案も、断った。
　けれど――。

　なのに、どこか息苦しい、そんな気がして。

　それで、宿をとり、みんなに明日まで自由行動と告げた後、外に出て、ただじっと、空を見ていた。
　雲が動いて、風が吹いて、涼やかで気持ちいい、その中にいることで、ほんの少し、息ができる気が……心が穏やかになる気がして……。

　「……なんならさ」

　ぼうっと、空を見ながら考えていた私に、マーニャが突然、言葉をかけた。

　「……好きに、しちゃえば？
　　きっと誰もせめないし、それでいいと思うよ、あたし」

　そう、酒ビンを見ながら、呟くように声を放つ。

　……何か、答えたい、そう思ったけれど……言葉が、出なかった。

　いろんな景色が、思いが、言葉が、一気に頭の中でまわりはじめて……声に出すことができなくて。
　しばらく無言で立ち尽くして、ビンの中のお酒をのみつくした彼女が立ち去るそのとき、

　――ありがとう

　そう呟くのが、精一杯だった。

　……あまりにも小さなその声。
　それでも、彼女が振り向いて、笑ってくれたのが……救い、だった。

　部屋に戻ったのは、ずいぶんと夜もふけたころだった。
　仲間の寝息を聞きながら、自分もベッドに、横たわる。

　夜も深いせいか、昼間の疲れか、ベッドから地の奥に吸い込まれるように、眠りの闇につかったその時、あの日の――ロザリーヒルに行ったあの日の夢が、鮮明に蘇った。


　あの男と――デスピサロと戦う夢。

　生物の進化をあやつるという、進化の秘法。その秘法の力で、人に似ていた姿も、愛した女性の記憶さえ捨て、理性もすべて失ってなお、人を根絶やしにする、そう言って、男は私たちに襲いかかる。

　腕を、足を切り落とし、頭を滅してなお、その男は倒れない。
　新たな顔を腹に生み出し、燃え落ちた四肢を再生し、なくした頭部まで、硬度を増して蘇らせ、その手で人の命を摘もうと、私たちを襲うのだ。

　――……ああ、そうだ。

　その鮮明な映像は、あの日の疑問の答えを私に示す。

　そうだ、これを……男のこの姿を見て、私は、泣いたのだ。

　異形の姿に対する恐怖、けれどそれ以上に、そこに痛みを、悲しみを感じて。

　もう彼女を……ロザリーを愛していた思い出も、彼女を失った痛みも、その痛みゆえに憎しみにのまれた記憶すら、失くしているというのに。

　それなのに、人を殺そうというその目的と、その身を砕かれてなお、生きようと、生きて人を滅ぼそうとする、そのうごめきだけが残って。

　何が究極の進化なのだろう。心さえ失ったそこに、いったい、何があると言うのだろう。

　ただ人を根絶やしにしようとするだけの存在。
　心さえ、理由さえ失くして、ただのすさまじい力だけになったその命そのものが、恐しくて。

　失った心には、消えてしまったそこには、少なくとも誰かを愛し、愛されるその心があったのに、それすらどこにもなくなってしまったことが、あまりにも……悲しくて。

　……夢の奥、眠りの暗闇に沈みながら、再び、涙が痛みともに私の頬を伝っていく。

　完全にその暗闇にのみこまれる瞬間、一人の桃色の髪をした少女の姿が、闇の上をよぎった。
　それはあの男の愛した彼女なのか、それとも――……

　それを確めることができないまま、私は眠りの中に落ちる。

　夢にも見ていなかった出来事が、この後、現実に起こるとは――このときの私は……想像すら、していなかった。

――Fin

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