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今日からおまえも
世界の危機が去り、その平和を象徴するかのように、輝くような青をした空の中。
その青を横切る、三つの影があった。
一つは、大きな角と翼を持ち、濃い色のたてがみを揺らす、黒く長い竜の影。
もう一つは、黒い竜と同じ造形をしながらも、その身を輝かんばかりの白に包み、黒き竜よりも少し年を重ねたような形を持つ、白く長い竜の影。
そして三つ目。影というには少しふさわしくないほどの光を放ち、まるで流れ星のように空を横切るその影の正体は……
「なにをしているのだウォルロ村の守護天使よ！」
――イザヤール。
かつて天使界の中でも長老につぐ地位と力の持ち主であるとさえ揶揄された、輝かしい経歴と頭を持つ、若き青年の姿をした上級天使。
そして、世界や天使たちを生みだした創造神グランゼニスの娘、女神セレシアに地上の守り人として任命され、人助けと新たな宝を求め、世界各地を飛び回っている名高き人間界の英雄――今現在、黒き竜の背に乗り、豹の顔を持つ将軍の膝の間に居心地よさそうに座っている、元天使の師匠でもある。
かつて世界を征服、破壊しようとし、自らの手で倒したその者たちを、供としてつき従えた元天使は、全速力でここまで来たのであろう、顔を紅潮させ、息を荒げる師匠の姿を見るなり、浮かべていたその笑みをさらに大きく広げた。
「あ、師匠！お久しぶりです！」
自分の言葉の勢いに反し、手まで振って無邪気に再会を喜ぶ弟子の姿に、イザヤールはただでさえ紅潮していた顔をますます赤くする。
「『お久しぶり』ではない！いったい何がどうなっているのだ！？
この状況はいったい……？」
そう言って、イザヤールは改めて「この状況」に目を向ける。
300年前、世界を征服しようと進軍した帝国につき従い、一度は命を落としたものの、300年の後、再び魔獣の姿で蘇った、帝国の三将軍。
彼らに操られ、世界を破壊しようとしていた闇の竜、バルボロス。
300年前の帝国の進軍に対抗し、勝利したものの、現代に再び蘇った闇の竜と戦い、一度死んだはずの空の英雄、光の竜グレイナル。
……更にはその帝国と闇の竜を蘇らせ、世界を破壊しようとしていた張本人であり、イザヤールの師匠である天使のエルギオスまでが、イザヤールの弟子である彼女を中心に、それぞれの形で大人しく座し、三将軍の一人であるギュメイに至っては、自らの足を彼女に椅子として差し出している。
どう考えても同じ場所にいることすらできないであろう因縁の持ち主たちが、それも今回の事件で命を落としたはずにも関わらず、彼女の供として、ぷかぷかと空に浮いているのだ。
――……いったい、何がどうなってるのだ。
状況を確認し、改めて内心でもう一度繰り返し、眉をひそめるイザヤールとは裏腹に、弟子である彼女は、笑顔のまま、ひどく明るい声で、はっきりと答えた。
「はい！
宝の地図の洞くつもほぼ制覇してヒマになったので、セレシアさまに戦いを挑みに行きました！
なんだか私が勝ったら３つの願いを叶えてくれそうな気がしたので！」
……ぐらり、思わずそんな擬音を思い出すほど大きな目まいがイザヤールをつつむ。
――何を言っているのだ、この弟子は。それも、笑いながら。
しかし、この弟子が冗談や嘘が言える性質でないのは、師匠である自分が一番よくわかっている。
念のため、もう一度聞き直し、そしてもう一度、同じ意図の答えが返ってきたのを確認し……
「それは似て非なる世界の話だ！セレシアさまははらわたを食いつくす魔物でも願いを叶える白い龍でもない！」
おそらく、生まれてから今まで数百年の中、もっとも大きな声でイザヤールはどなり散らした。
二体の竜と、将軍たちが、それぞれ顔をしかめ、耳をふさぐ。
人間ですら耳をつんざく大声を、人の数倍の聴覚を持つ彼らが間近で聞いたのだから、無理もなかったのだが……当のイザヤールに、そんなことにまで思いを至らせる余裕はない。
しかしその怒鳴り声を真正面から受けた彼の弟子は、満面の笑みこそないものの、さほど気にした様子もなく、明るい調子で言葉を続けた。
「えー、でも、頑張って勝ったらお願い聞いてくれましたよ？
お願いだからもう許してくださいって言って」
「それはお願いではない！
脅迫と懇願だ！
おまえは一体セレシアさまに何を……」
「はい！
とりあえず１つめのお願いで、天使界を元に戻してもらいました！
ただ困ったことに、消える直前の天使界に戻すことを願ったから、師匠の存在が戻らなくて。
それで、そういうだましうちみたいなやり方に腹が立ったので、
人間界に戻って一晩宿泊して、
もう一回戦いを挑んで、２つめのお願いで、
これまで倒れて命を失った人たちをよみがえらせて、仲間にさせてくださいって頼みました。
師匠は時期がまだ来ないって言われちゃったし、
サンディが怒って天の箱舟にはちょっと乗りづらくなっちゃいましたけど、
その代わりこうしてバルボロスやグレイナルさんに乗せてもらってます！」
……めまいが激しくなり、思わず飛ぶという動作を忘れ、落ちてしまいそうになる。
いろいろ、それはもういろいろと、言いたいことはあるのだが……
悪びれもせず、自分の前でとんでもない発言をする弟子の姿に、マヒを受けたときのようにクラクラとして、思わず出すべき言葉を忘れそうになる。
少しよろよろとしながらも、落ち着きを取り戻すための時間をとり、やっとのことで息を整えると、イザヤールは言葉を続けた。
「聞いてるのは、そういうことではない！
ああ……まったく、おかしいと思ったのだ。
急に星から元の姿に戻り、肉体まで与えられ、セレシアさまに
『お願い、あなたの弟子を止めて！このままでは世界が……！』
と涙ながらに訴えられたのだぞ……！？
いったい何事かと思えば……！」
「そのセリフも似て非なる世界の話を彷彿とさせますね。緑の大きな人がいた。
涙がルビーにでもなりました？」
「だからそういうことではない！」
これほどに師匠である自分が怒っているのに、彼女の顔と答えと来たら、余裕に満ちている。
――自分のいぬ間に、想像を超えて成長したとは言っても、これはやりすぎだ……！
思わず誰にむけるでもなく、そう心の内で呟き、そのまま頭を抱えたい衝動に駆られた。
しかし、頭を抱えたところで、時間が戻るわけでもなければ、問題が解決しないこともわかりきっている。
ここは威厳を見せ、はっきりと指導しなければなるまい、それが師匠としての責任だ、イザヤールはそう自分に言い聞かせ、自身を奮い立たせると、息を吸って背筋をのばし、
「……とにかく、すぐにセレシアさまに謝って全部元に戻すのだ！
今ならまだ許してもらえるはずだ。よいな！？」
そう、強い口調で弟子に命令のごとく一喝した。
しかし、それを聞くと、弟子は一変、厳しい表情を見せ、
「いやです」
……そう、断言して、イザヤールから顔をそむけた。
「な……！
弟子は師匠にさからえぬのがならわし！
その理を、忘れたというのか！？」
思わず、今の状況も忘れ、イザヤールはそう言い放つ。
しかし、彼の弟子は厳しい表情のまま、冷静に、
「忘れてはいません。
でも私はもう人間です。だから天使のならわしは関係ありません」
そう答える。
……どこからさとすべきか、まずはこちらを向かせるべきか、イザヤールが次に取るべき行動に迷っていると、弟子はぽつり、と呟いた。
「それに……」
……そこまでで、言葉を切る。
「……それに？」
イザヤールが思わず言葉の続きを促すと、彼女は視線をイザヤールに戻し、勢いのまま、一気に言葉を放った。
「流れや動機はどうあれ、私は賭けをして勝ったんです。
それを謝る気も、元に戻す気もありません。
だいたい、失礼ですよ、賭けを受けた相手に、報酬を返上するなんて。
少しでもプライドのある相手なら、そんなこと望みません。
それにセレシアさまだって、マダンテは連発するわ３回攻撃はするわ、
最後なんて変身して４回攻撃するわで本気でこっちを殺しにかかってきたんですから。
文句を言われる筋合いはありません！」
「……へ、変身……？」
思いもよらぬ言葉に、つい間の抜けた声が出る。
「ええ、あれはまるで……いえ、どのような姿になったかはセレシアさまの名誉のため伏せますけど。
……それに、今すべてを元に戻すということは、一度蘇った命をまた殺すって、そういうことですよ？
天使界の皆に……オムイさまやラフェットさまだって、また会うことも話すこともできなくなるんです。
……私は、私はこれ以上……
他人の勝手な都合で故郷を奪われるのも、仲間を失うのもまっぴらです！」
一瞬言葉を止めながらも、そこまでを一気に言うと、彼女は力を込めた瞳で、イザヤールを真正面から見すえた。
正面から自分の中に飛び込んでくるその瞳には、深い痛みの色がはっきりとうつっている。
「……ウォルロ村の守護天使……」
その瞳に、イザヤールは言葉を失った。
――天使界が攻撃されたあの日より今日まで、彼女の身に何が起こり、どのように過ごしていたかを、イザヤールは知っていた。
まだ天使としては幼い彼女が、天使の羽と輪を失い、不完全な姿になったこと。
信心深い、村の少女に助けられながらも、守っていたはずの人々から好奇と疑惑の目を向けられ、いかに心ない言葉をぶつけられたかを。
それでも天使界に戻るため、そして人間を助けるため、彼女がどれほどの力を、心を尽くしてきたことか。
その上なお、自分を、師を失うという痛みに遭いながらも、女神セレシアに請われるまま、人間界を、そして天使界を守るため、天使としての力と寿命を捨て、人間になる道を選んだ、その結果が……
自らが蘇った今、役目は終わったと、故郷の天使たちは女神セレシアの手により星と化し、天使界は消滅。
彼女は人間として、地上に一人取り残されたのだ。
――……セレシアさまを責める気はない。
そして弟子である彼女も地上に、得るものがあったことも確かだ。一人というのは語弊があるかもしれない。
……しかし、それでもなお……彼女が、この結果に傷ついたとして……それを、誰が責められよう。
全身全霊を尽くし、生涯消えぬかもしれない痛みと傷を受け。
さらに人間界を、生まれ故郷の天使界を守るために、本来持っていた長き寿命と、故郷とそこに住む仲間たちの存在を認識できなくなるという、代償を払った、その結果が……
守りたかった故郷を奪われ、地上に取り残されました……では、誰が理不尽だと思うことを、その身に怒りを、痛みを抱くことを、責めることができようか。
……こうしてひとときでも笑顔を浮かべられるだけでも、どれほどの奇跡であることか。
思いを馳せたイザヤールが、続く言葉を見失っていると、弟子は急に立ち上がり、彼に向けて手を伸ばした。
不意のことに、抵抗する間もなく、イザヤールは掴まれた服ごと引き寄せられ、彼女の横に位置される。
イザヤールが自分の横に座したことを確認し、うなずくと、彼女は再び腰を落とし、イザヤールに顔を向け、にっこりと笑い、言った。
「……だから私は、セレシアさまに謝る気もないし、元に戻す気もありません。
じゃあ、師匠！行きましょうか！」
「！？」
彼女の元気な言葉とともに、今まで空中で停止していた竜が動き出し、イザヤールとその弟子、そして竜の背に乗った者たちは、正面からの風を全身で受ける。
「とりあえずはルイーダの……セントシュタインの酒場の名簿に登録して、
それから職とスキルポイントと装備品のふりわけ、
スキルによっては新しいスキルクエストの受注ですね！
それからタイミングを見計らって宝の地図でレベルアップ！
このパーティに入った以上、ビシバシ命令させてもらいますから、覚悟しててくださいね！」
「ま、待て！なんでそうなる！？」
正面から受ける風の中、疑問を口にするイザヤールに、楽しそうな声で弟子は答える。
「だって師匠、私を止めるようセレシアさまに頼まれたんでしょう？
でも私、止まる気はないですから。
それじゃあ師匠の性格上、任務を果たさないままセレシアさまのところに戻ったりできませんもの。
つまり今師匠は帰れない。そして地上でやることは他にない。つまりフリー。
なら私たちの仲間になっても、なんら問題ないはずです！」
「い、いや、待てそれは……！」
「それに、私を止めるというのなら、
ずーっと私のそばにいて指導するのが、一番効率がいいんじゃないですか？
それこそがセレシアさまからの任務を果たす、一番いい方法だと思いますけど？」
「……む……」
「はい、交渉成立！
バルボロス！グレイナルさん！セントシュタインに向かって！」
『……心得た』
光の竜と闇の竜。
本来相容れるはずのない二体の竜が、彼女の言葉に同時に答え、そして互いに視線を合わせて睨みあい……少しの後、また同時に『フン！』と鼻を鳴らして互いから顔を背けた。
その様子を見て、彼女は楽しそうに笑い声をたてる。
……そこで、イザヤールは気づいてしまった。
本来相容れることも、同じ空間にいることさえ叶わぬこの二体の竜さえも、自らのそばにおき、思うがままに操る度量を持つほど成長した弟子に……自分がかなうはずがない、と。
「……ウォルロ村の守護天使よ」
……もはや怒る気も、逆らう気も失せてしまった。
他の者と同じように、竜の背に大人しく座しながら、半ば諦め混じりで、イザヤールは彼女に声をかける。
「師匠、元、ですよ。さっきも言ったじゃないですか。
今の私は天使じゃなく、人間です」
「……そうだったな。
……ひとつ、聞くが」
「はい、なんです？」
行き先に軽く視線を向けながらも、明るい声で自分に答える彼女を見ながら、イザヤールは静かに呟いた。
「人間界とは、そうも大変な場所なのか……？」
――そのような、どこか怪物めいた力と心を持ってしまうほどに。
そう続くはずの言葉を受けてか、それとも単純にその質問に対してか、彼女はさらに明るい調子で答えた。
「さあ、どうでしょう？
でも、師匠もきっとすぐに慣れますよ！」
その軽やかな答えに、まっさらな、満面の笑みを加え。
「…………」
……自分が導かなければならなかったころと同じ、無邪気な笑み。
天の箱舟で、天使の理に逆らえぬと知りながらも、必死で自分を止めようとした時の、苦しそうな顔。
その身を傷つけた時の、痛みと驚きと、悲しみが入り混じった顔。
消えゆく中、最後に近くで見た、あのひどく、つらそうな顔。
彼女の顔が、ずっとあのままではないだろうか？
ずっと、あの悲しげな、苦しげな、あの表情が、ずっと、彼女の前にはりついてはいないだろうか？
……それが、心残りだった。
肉体を失い、夜の闇の中の光となったその時でさえ、そのことが頭から離れなかった。
けれど、今。
ここに、確かにここに、そうでない、満面の、無邪気な笑みがある。
――……もうしわけありません、セレシアさま。
イザヤールは、心の中で呟いた。
――私には……これ以上、彼女の笑顔を奪うような真似は、できそうにありません。
そして、風の中、太陽に向かい、一つ、頭をたれる。
それすらも受け止めるような、変わらぬ光を放つ太陽を見て、少し、心が軽くなった。
……空を抜け、雲を抜け。
地上の風景が、美しい草原の中、目的地となる酒場がある、セントシュタインの城が見えたころ、バルボロスの運転に集中していた弟子が、イザヤールを見て言った。
「じゃあ、セントシュタインについて、もろもろの準備を整えたら、
また神の国へ行ってセレシアさまと戦いにいきましょう！
今度勝ったら、3つめの願いで、あぶないビスチェときわどい水着をくれるって約束なんです！」
「それだけは許さーん！」
……ほんのわずか前、記録を更新したはずの声量を遙かに越えたイザヤールの絶叫が、青い空にこだました。
その夜、セントシュタインの酒場で、久しぶりに再会し、酒を酌み交わした弟子と師匠が、
「……イザヤールよ、
……おまえは弟子にどんな指導をしたんだ？」
「エルギオスさまに言われたくはありません！」
……という会話をかわしたことは、すっかり夢の中にいた、地上の守り人の知らぬ話。
―――fin
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