ほしがたり

　――泣くな

　……声がする。

　――泣くんじゃない

　聞きなれた声。
　見なれた頭。
　常に素直に、まっすぐに……感情を、心をそのまま映し出す、その瞳。

　その声が、泣いている。
　痛そうに、苦しそうに。
　抑えようとして、それでも抑えきれなくて。
　何度も何度も、声をもらしては、無理やり息を、音を止めようとする。

　――泣くな

　……声がする。
　この声は……泣くな、そう言っているのは……私。
　……私の、声だ。

　そして、泣いているのは……あそこで、遠くでうつむいて、ふるえているのは……彼女。
　私の……弟子だ。

　――……そんなふうに、泣くんじゃない。

　そう言いたくて、手を伸ばす。
　しかし、その手は届かない。

　どれだけ腕を、指を伸ばそうとしても、どれだけ足を進めようとしても、その景色は変わらない。
　ただ、ふるえ、泣き声をもらす彼女の姿が、小さく見える……そのままだ。

　なぜだ、なぜ届かない。
　なぜ……。

　――……！

　せめて、近づきたくて。せめて、こちらに気づかせたくて。
　声をあげて、彼女を、その名を呼ぶ。
　だが、さっきまで聞こえていた、響いていたはずのその声も、なぜか、何かにかき消され。

　……もどかしい思いに捕らわれ、もがいていると、急に、彼女が顔を上げる。

　――！

　その顔に映るのは……うつろな、瞳。

　声は、悲痛な泣き声はまだ、聞こえているのに。
　その顔には、瞳には、感情が……まるで心が見えない。

　なぜ……なぜ、そんな顔をしている。
　なぜ、そんな瞳をしている。

　なぜだ……？

　目を、開ける。

　豪華な装飾の、しかし、暗く冷たい色をした天井が、目に飛び込んで来て……一瞬、状況を把握しかねる。

　――ここは……どこだ。

　自分の置かれている現状を確認すべく、私は身を起こし、辺りを見渡した。

　レンガ作りの、青い壁。
　薄い色をした炎に照らされている、主人のいない、赤い玉座。
　紫色の、四角いタイルがしきつめられた、冷たい床……。

　――！？

　ここが……自分がどこにいるのかを認識した瞬間、再び私は辺りを見渡す。

　――なんだ、これは……？私は、どうしてここにいるのだ！？

　私の中で、強い疑問とともに、かつての記憶が流れ出す。

　私……そう、私は、天使界で生まれ育ち……エルギオスさまの弟子となった。
　だが、そのエルギオスさまが行方不明となり、その後、私も弟子をとった。
　しかし、天使界が何者かの攻撃を受け、そのときに我が弟子も行方不明になってしまい……
　天使界から失われた女神の果実、そして弟子も含めた、行方不明になった幾人もの天使を捜すという使命を受け、天使界から地上へと旅立ったその日……私は、エルギオスさまが、捕らわれていることを知ったのだ。

　……ここに……私が今いる、この、ガナン帝国に。

　私は、エルギオスさまを、そして同様に帝国に捕らわれた天使たちを助けるため、このガナン帝国にくみするふりをし……私が謁見を申し出たその日、将軍を通し、ガナン帝国の皇帝、ガナサダイは私に告げた。

　――天使界の宝、女神の果実をすべて私に捧げれば……信頼をもって帝国に迎えよう、と。

　私は……それに従った。
　再会し、必死で自分を止めようとする弟子から、力ずくで女神の果実を奪い……そして……。

　……命を、落としたはずだ。
　ここで……この、皇帝の間で。

　果実を、私を追って、ここまでやって来た弟子の目の前で。
　ガナサダイの放った槍を、この身に受けて。
　身体を失い、意思だけ、心だけが星となって残った……そのはずだ。

　覚えている、あの痛み……最後まで、最後まで後を頼むことしかできず……痛そうな、苦しそうな顔をさせたまま、弟子と……彼女と別れてしまった、あの痛みを。

　おまけにその後、遅れて星になった同胞たちに、私のとった勝手な行動、そして弟子を悲しませたことについて、散々に責めたてられ、星という不自由な身になってなお、長い説教を受けた覚えまであるというのに。

　――……なのに、何故……私は、ここにいるのだ？

　自分の両の手を、意思のままに動く自分の身を目に映しながら、解けぬ疑問に捕らわれていると、急に頭上より声がした。

　――イザヤール。

　……女性の声。
　聞いたことがないはずなのに、どこか懐かしい、そんな声が私の名を呼ぶ。

　――あなたに話があります。さあ、私のもとまでおいでなさい……。　

　声に導かれるまま、上を向いた瞬間……光が私を包み、私は瞬時に、別の場所へと飛ばされていた。

　花と緑の木々、そして金の装飾に包まれた、石造りの白い部屋。
　どこか固さと冷たさをまとうその部屋の中、大きな金色の窓より、日の光のさすその場所に。
　白い衣をまとった、金の髪の女性が立っていた。

　「――イザヤール」

　そして日の光の中、私の名を呼ぶ。
　……先ほどガナン帝国で聞いたものと、同じ声で。

　「イザヤール。地上の守り人の師よ……。

　　私はセレシア。創造神グランゼニスの娘、セレシア。
　　……あなたをここに呼んだのは、私です」

　創造神……偉大なる、神の娘……？
　驚きと、しかし何かがひっかかるような、思い出せないような奇妙な感覚が私をつつみ、私は、すぐに返事をすることができない。

　創造神の娘を名乗った女性は、私の様子を見て、静かに微笑み、言葉を続けた。

　「……まだ、少し混乱しているようですね。

　　……いいでしょう、私の力で、あなたに見せましょう。
　　あなたが何故ここにいるのか、どうしてあなたがよみがえったのかを……」

　そう言うと、金の髪をした女性はやわらかく手を広げ……広げた手の先から白い光があふれ、部屋と女性ごと、私の視界を白く染めあげた。

　白い光が消えると、そこには、先ほどとは全く違った景色が広がっていた。

　光と部屋、そして女性にかわり、そこにあるのは……夜の天使界。
　懐かしき我ら天使の故郷を、私は上空より見下ろしていた。

　そして、その天使界の頂点にたたずむのは……世界樹。
　……その世界樹の前には、天使界の長老オムイさま、そして……私がいる。

　そこに、輝くもの……星のオーラを手にした、一人の天使がやってくる。
　……あれは、彼女……私の弟子だ。

　――これは……あの日の……？

　記憶にある、遠い景色のその中で、私の弟子は世界樹に星のオーラをささげ……その瞬間がやってきた。

　輝きとともに女神の果実が実り、金の色をした天の箱舟が天使界に停車し……オムイさまが喜びはしゃぐ。
　しかし、間もなく箱舟と天使界を邪悪な光が貫き……私の弟子が女神の果実とともに、天使界から弾き飛ばされる、あの瞬間が。

　思わず翼を広げ、手を伸ばすが、景色は変わらず、飛ばされる彼女に、近づくことすら出来はしない。
　そのまま彼女は、果実とともに弾き飛ばされ……私の目の前で、滝へと落ち……しばらく経った後、村の……私もよく知る、ウォルロ村の信心深い少女の手によって、救われた。

　――これは……あの日の……いや、過去の出来事……？

　驚きながらも見つめる私の前で、時間は飛び、過去の……地上に落ちた弟子の時間は、流れていく。

　天使界からはじき出された弟子が、どのように助けられ、生きのびたか。
　そして、どのように友人や仲間と出会い、旅立ち……戦い、学び、人を助け、助けられ、天使界へと戻ってきたか。

　そして、女神の果実を集めるため、再び地上へと旅に出て……長い旅の果て、師と……自分と、再会し――痛みと、それでもなお希望を抱き、ガナン帝国の城までたどりつき……あの日を、永久の別れを迎えたか。

　弟子の成長をこの目で見た喜び、そして弟子の受けた痛みと悲しみに対する怒りが、同時にわきおこり、私の中で動き出す。
　……そして、その痛みを与えた一人が自分だと言う罪悪感も、また。

　……さまざまな感情の入り混じった、複雑な思いで見守っていると、彼女は痛みをこらえながら、仲間とともに捕らわれた天使を、そして我が師、エルギオスさまを助けに行った。

　しかし……捕らわれたそのエルギオスさまこそが、悲しい裏切りと痛みの中、堕天使となり……ガナン帝国を復活させ、操り、天使界に攻撃を仕掛けた張本人であったのだ。

　彼女はエルギオスさまを倒すため、天使の理から外れ、人間となる道を選び……エルギオスさまと戦い、倒し……全てを終わらせ……人となって、地上へおりた。

　……残るのは、夜空。
　そして……星となった我ら天使を見上げて、答えのない空に向かい、いつも語りかける、彼女の姿。

　――これでは、確かにその仕打ちを同胞に責められても……仕方がない。

　こちらを……空を見上げる彼女の姿を見て、私はそう、呟いた。

　たとえそれが、予期できぬことだったとしても。
　私の行動は、判断は……ただでさえ重い運命を背負った彼女に、さらなる痛みを負わせてしまったのだ。

　――……本当に、何をしていたのだ、私は。

　自身に対する憤りに、私は強く拳を握る。

　……しかし……

　セレシアさまは、どうして私がよみがえったのか、その理由がわかる、そうおっしゃった。
　その答えが、この景色のどこにあるというのだ……？

　そう、私が疑問に思っていると、急に目の前に、光が集まり――人の形をなし、エルギオスさま……私の師匠が、姿をあらわした。

　「……ひさしいな、イザヤール」

　「……エルギオスさま」

　先ほど見た、私の弟子と戦っていたときの姿とは違い、穏やかな……昔のままの師匠が、私を前に、優しく微笑む。

　――どうして、ここに。

　私がそう尋ねると、エルギオスさまは片手を静かに広げ……夜空だった景色は、急に、にぎやかな酒場を映し出した。

　……明るく、騒がしい酒場。
　人々の笑顔、そしてそのすきまを忙しそうに走りまわる店員に包まれた、酒場のカウンターの上に、見覚えのある天使が座っている。

　「あれは……」

　「……そうだ、ラヴィエル……おまえの、妹だ」

　――天使界を去ってからどうしているかと思っていたが、あのようなところに。

　私がそう呟くと、エルギオスさまは笑い……自身も星となって、今の私のように全ての事情を知ったこと、そしてセレシアさまとラヴィエルを通し、私の弟子に、願いをかなえる幻の宝石を見つけるよう頼んだことを語り……その瞬間、まるで風船が弾けるかのように、新たな記憶が、私の中で生まれ、流れた。

　かつて、まるで夢のような出来事が……見知らぬ人間に、天使界で緑に輝く宝石を渡されたことがあったこと。
　これは願いをかなえる幻の宝石、そんなことを言われ……とても、信じられはしなかったが、相手の真剣な目に、礼を言って受け取り、その後持ち歩いていたこと。

　そして、その宝石の力で、あの時……ガナサダイの武器がこの身を貫いたとき、これ以上、大切な人を悲しませたくない、そう願い……一度消えてなお、再びよみがえったことを。

　その人物……私が出会った人間こそが……彼女……私の、弟子であったことを。

　「……これは……この、記憶は……？」

　とまどい、無意識に疑問を口に出した私を見て、エルギオスさまは、静かに笑った。

　「……それが、願いをかなえる宝石……女神のいのり、の力だ。
　　過去を変え、おまえはよみがえったのだよ、イザヤール」

　……自分の、手を見る。
　それで、私はよみがえった……過去を変えた……？
　――しかし……。

　「しかし……何故、私の運命を変えようとなさったのですか？
　　そのように運命を変える力があるのならば、それこそ全てを……
　　エルギオスさま自身の運命を変えれば、よかったのではないですか？」

　私は、わきあがった疑問を口にする。
　しかし、エルギオスさまは、目をふせ、首を左右に振った。

　「……そうではない、イザヤール。　
　　……私が受けたものは……いわば私の自業自得だ」

　……言葉を失う私とは裏腹に、ほんの少しだけまぶたを開き、エルギオスさまは言葉を続ける。

　「私はラテーナを……人を愛することを選んだにも関わらず、
　　最後まで人を、信じ切れなかった。
　　人に受けた仕打ちを、自らの運命を呪い……仲間やおまえを、信じようともしなかった。

　　……おまえは300年ずっと、私を捜していてくれたのに。
　　私を信じていてくれた天使たちも、数多くいたというのに。

　　なのに、私は……自分の痛みと苦しみの中、それを忘れていた。
　　自分には、信じ、慕ってくれる存在がいると言うことを。

　　……あれは、いわばその罰だったのだろう。
　　たとえ本当にラテーナに、愛していた人間に裏切られ、辛く、苦しかったとしても……
　　仲間やおまえを信じてさえいれば、私は……あのようになることはなかったのだから」

　あのように……先ほど、弟子の思い出の中で見た、傷つき、醜く歪んでしまったエルギオスさまの姿が浮かびあがり……私は、唇を結ぶ。

　……エルギオスさまは、言葉を続けた。

　「……それに何より、私は今……幸せだ。
　　あのように醜く、歪んでしまってもなお、
　　300年かけて私を追い続け、愛してくれたラテーナと共にいることができ……

　　おまえが……私のために身を投げ出し、痛みを負い、
　　命まで懸けてくれる存在がいたと、わかったのだから。

　　だが、おまえは……おまえの弟子は、今、そうではないだろう？」

　夢で見た、弟子の姿。
　悲痛な声をあげながらも、顔に出せないでいる、その姿。
　静かに空を見上げ、ただただじっとそうしている姿が、浮かぶ。

　……彼女は、何も……何ひとつ、悪くないというのに。

　その痛みを思い、何も言えずにいる私に、エルギオスさまはひとつ頷く。
　……景色はいつの間にか、静かな夜空へと戻っていた。

　「……おまえの弟子に、私はとても世話になった。

　　おまえの弟子は、自分がどれほど傷つこうとも、
　　どれほどの痛みを負い、何度となく倒れようとも……
　　仲間と力を合わせ、私のもとへたどりつき……
　　私の暴走を、憎しみを……止めてくれた。

　　ラテーナが私のもとへたどりつけたのも、おまえの弟子が……
　　その心の光が、私の心を映した魔宮の闇を一歩一歩払いのけ、
　　彼女の道を切り開き、導いてくれたおかげだ。

　　……それなのに、私がおまえの弟子にできたことは、何もない。

　　……だから、これは恩返しなのだ。
　　彼女へ、そしておまえへの。
　　……おまえも、後悔しているのだろう？

　　彼女を苦しめてしまったことを。
　　最後まで……頼みごとしかできず、謝り、礼を言えなかったことを」

　「エルギオスさま……」

　自分の手を、いつの間にか足元を見ていた視線を戻すと、エルギオスさまは微笑んでいた。
　穏やかに、優しく……いつか、師として私を導いてくれた時と、同じ笑顔で。

　「行きなさい、イザヤール。
　　行って……彼女の苦しみを受けとめてきなさい。
　　それが、おまえの責任だ。

　　そして、伝えてくれ、おまえの弟子に。
　　今の私が、おまえに言いたいことと同じように……しっかりと。

　　……すまなかったな、イザヤール。
　　――ありがとう」

　……瞬間、光があたりを包み……直後、私は戻っていた。
　……セレシアさまの……日の光のさす、あの部屋の中に。

　驚く私とは裏腹に、セレシアさまは静かにたたずみ……ゆっくりと、言葉を発した。

　「……これで、わかりましたね。
　　あなたが何故、ここにいるのか。
　　あなたがどうして、よみがえったのか……」

　セレシアさまの言葉に、私は肯定の返事を告げる。
　セレシアさまは満足げに微笑むと、すっと、手を動かし……その瞬間、私の背の翼と、頭に輝く光輪が、姿を消した。

　「……ゆきなさい、イザヤール。
　　あなたはもう、人間です。
　　人として、地上に下り……その生をまっとうしなさい」

　そう言って、私の背後の空間に、光の扉を生み出す。
　その向こうに、地上の……人間界の景色が見えた。

　「……セレシアさま」

　人間界の景色、弟子の姿……それらと同時に、天使界と仲間の姿が私の中に浮かび上がり……私は、尋ねる。

　「……お心遣いは、感謝いたします。
　　しかし、私は……他の仲間と同様、役目を終えた天使です。
　　他の仲間を差し置いて、私ひとりだけ、人として星よりよみがえると言うのは……」

　「イザヤール」

　自分だけ幸せになるのは――そう続けようとした私の言葉をさえぎるように、セレシアさまが私の名を呼んだ。
　……唇に浮かぶ微笑みとは裏腹に、厳しく、強い声色で。

　その厳しさを声と瞳に浮かべたまま、セレシアさまは言葉を続けた。

　「……星になっていいのは、すべてを、その責を終わらせたものだけ。
　　あなたには、まだその責が残っています。

　　……だからこそ私も、エルギオスの望みに力を貸すことができたのですから。

　　……おゆきなさい、イザヤール。
　　天使から人間になった、もう一人の存在よ。
　　人として、地上に下り、生を……あなたの責任を、果たしなさい。

　　その結果、あなたが得るもの、もたらすものが何になるかは……私にも、わかりません。
　　しかし……それは、あなたにしかできないこと、あなたがやらなければならないことなのです。

　　どうか、元気で。
　　……エルギオスも、ラヴィエルも……皆、それを願い、見守っていますよ……」

　言葉が終わるか、終わらぬかのその合間に。
　光の扉は大きくなり……私の足から全身を、地上へと運んでいた。

　……気がつけば、私は地上にいた。
　見覚えのある、草原の緑と青い空が広がる、美しい景色の中に。

　思わず、背に手を伸ばすが、大きな翼は、もはやどこにも見当たらず。
　少し軽いような、もどかしいような、おかしな気分になった。

　頭上に広がる、まっさらな青い空。
　昼の光の中、星はどこにも見えなかったが……それでもじっくりと見渡し、ひとつ頭を下げた。
　……見えなくとも、そこにあるものと信じて。

　足を進め、町を目指す。
　行く場所は、果たすべき責は……決まっていた。

　夢うつつで、セレシアさまの映した思い出の中で見た、弟子の顔が浮かぶ。

　――待っていろ

　その言葉に続け、弟子の名を呼ぶ。
　……今度は、はっきりと。何の、ためらいもなく。

　一歩一歩踏みしめる大地が、少しずつこの身を、目的の場所へと近づける。
　きっと、次はこの手も……届くに、違いない。

　そう、拳を握りしめ。
　かつて見慣れたその門を、私は小さく、目に映した……。

――fin

<<016:やりのこしたことを読む