いつかのその日はこの手の中に

　「それではいってまいります、オムイさま」

　私はそう言って、頭を下げる。

　「うむ……イザヤールよ。くれぐれも気をつけていくのじゃぞ」

　不安の色を、その顔と声にもらしながら。
　オムイさま……我々天使界の長老は、私の出発を承認した。

　――正体不明の攻撃により、天使界は大きな傷を負った。

　その結果、数千年をかけてやっと実った女神の果実は地上に散らばり、同時に起こった揺れにより、私の弟子を含めた幾人もの天使が、天使界から落下し行方知れずとなった。

　それ以来、天使界そのものも厚く暗い雲と霧に覆われ、残った天使たちも力の何割かを失い、復興もままならない。

　……そんなときに、上級天使の一人である私がこの天使界を出ることに、オムイさまが難色を示すのも、不安になるのも無理はなかった。

　……だがそれでも、私は行かなければならなかった。
　天使界のため、そして人間界の混乱をおさめるために。

　「はい、人間界に散らばった女神の果実、
　　そして行方のわからぬ天使たちを、必ずやさがしあて、共にこの天使界に戻ってまいります」

　気をつけてな、そう叫ぶようなオムイさまの声を背に、私は光の泉――人間界へ続く、旅の扉へと飛び込んだ。

　――待っていろ

　光の中、その言葉に続けて弟子の名前を心の中で呼び……そんな自分に、自分で少し驚いた。

　――これは、遊びではない。

　地上に散らばった女神の果実の回収、幾人もの天使たちの救出……そういった、いくつもの大事な任務を背負い、人間界に旅立つと言うのに。

　にもかかわらず、自分が真っ先に思い浮かべるのが、我が弟子の姿だとは……こうも、彼女が自分にとって大切な存在になるとは、出会った当初は、思ってもいなかった。

　……彼女を弟子にとったことに、特別な意図はなかった。
　いや、そもそも、弟子を取る、そう決めたことも、今思えば気まぐれに近かったように思える。

　きっかけとなったのは、ラフェットの一言だ。

　いつものように任務を終え、オムイさまと記録係の女性のところに報告に行った後……いつものように友人であるラフェットの仕事場により、少し話した。

　――あなたはいつも、一人で思い詰めすぎなのよ。
　　　　もっと、他の誰かを頼ることも覚えたほうがいいわ……

　そこに至るまでの、話の流れは覚えていない。
　しかし、会話の最後に言われたその一言が、妙に気になり……それで、しばし考え、弟子をとるという結論にいきついた。
　……ずっと、そうしたいと、いつかそうしようと、思っていたことがあったからだ。

　……300年前、我が師、エルギオスさまが行方をくらませた。

　天使界の歴史上、もっとも優秀で、もっとも高い位を得た、上級天使。
　誰よりも人間を愛し、誰よりも人間界を訪れ、誰よりも多く、人間の感謝の心の結晶である星のオーラを集め……300年経った今でも、その記録は破られていない。

　――だが、急に姿を消した。

　理由もわからず、その後の天使達によるたび重なる調査にもかかわらず、その行方をつかむことはできず……結局、当時起こっていた人間界の大戦に巻き込まれ死亡した、天使界ではそういう結論に達した。

　……到底、納得できなかった。

　どこかでまだ生きているのではないか、何故もっと捜さないのか、そう抗議したが、上の決定は絶対だった。

　――人間界での大戦が終わらぬ今、
　　　　むやみに人間界へ天使たちを派遣しても、犠牲者が増えるだけだ。
　　　　おまえもエルギオスを思うならば、その気持ちに報いるよう、これから精一杯働きなさい。

　……そう言われ、私は間もなく、守護天使の地位を与えられた。

　まだ、納得はいっていなかった。
　……それでも私は、守護天使の任務に没頭した。

　あの方が、人間に肩入れしていた理由を知りたかった。
　あの方の弟子として、恥ずかしくない存在にもなりたかった。

　そうして任務に没頭すれば、いずれその理由がわかり、迷いも消える……そう思って300年、人間を助ける守護天使として使命に没頭して来たが……やはり、エルギオスさまはどこかで生きているのではないか、その思いが頭から離れなかった。

　……だが、理由はどうあれ、守護天使としての使命がある以上、エルギオスさまをさがすために地上を駆けることはままならぬ。
　その解決法として、ラフェットの言葉を受けて思い浮かんだのが……弟子をとり、私のできる限りのすべてを教え、私の後をまかせることだったのだ。

　……しかし、これまで自分は未熟だと、気が進まぬと、せめてエルギオスさまの記録を抜けるようになってから……そう言って、オムイさまのおすすめになられた数々の弟子候補を断って来た以上、今さらオムイさまに頼むのも気が引ける。

　誰か、オムイさまにすすめられた弟子候補以外で、まだ師匠を取っていない天使はいないものか……そう思い、天使界を歩いていた時、たまたま目についたのが、何かの雑用を頼まれたのか、居住地区から二階へと、荷物を手にやってきた彼女だった。

　――いた、と思った。特に確信はないが、そんな気がした。

　そして私は彼女に声をかけ……数分後、彼女は私の弟子となった。

　もしそこを歩いていたのが別の者であれば、その者が私の弟子となっていただろう。本当に、ただそれだけのことだった。
　ゆえに、今まで弟子を取らなかった私が特別に選んだ弟子、と彼女に天使界の……主にオムイさまの期待と好奇の視線がそそがれることに、少し罪の意識も感じなくはなかった。

　――だが、その心配はすぐにかき消された。

　もともとまじめで素直な気質だったのだろう、もしかしたら、私と相性がよかったのかもしれない。とにかく彼女は、私の教えを受け、技術を吸収し、めきめきと成長した。

　その素直さゆえに、時に感情にまかせて無謀な行動や、無理をしすぎることもあり、そんなときには私もいつもより厳しく指導をしたが……それでも彼女は、その反省を生かし、目を見はるスピードで成長していった。

　その成長の早さ、そして感情の豊かさは、どこか人間を彷彿とさせた。
　天使として、人を導くものとして、時に感情を殺さねばならない、そう彼女に指導しながらも、できることならこのままでいてほしい、心のどこかで、そう願っていた。

　……だから、オムイさまに、彼女を私の後継者として、ウォルロ村の守護天使に抜擢する、そう聞いたときは驚いた。
　彼女はまだ未熟です、もっと時間を……気がつけば、そうオムイさまに反対している自分がいた。

　――もともと、それが望みだったはずなのに。

　彼女が守護天使になるということは、私は念願のエルギオスさまの捜索に行けるということなのに。

　――自分の願いが叶うと言うのに、私はどうしてしまったのだろう。

　……そう、心のどこかで思いながらも。

　それでも、オムイさまの決定はくつがえらず、私は彼女の前任として、守護天使の指導にあたることになった。

　未熟でも、実践で覚えていけばいい、おまえの選んだ弟子なのだから、きっとうまくやれるはずじゃ……そのオムイさまの言葉が、真実になればよい、そう、願いながら。
　きっと彼女ならば大丈夫だろう、そう自分に言い聞かせ、私の守護天使としてのすべてを、彼女に伝えられるよう努力した。

　そして、見事彼女が守護天使となり、初めて自らの力だけで集めた星のオーラを世界樹にささげた時は、ひどく誇らしい気持ちだった。

　これで、彼女も一人前だ。
　私も、彼女の師として恥じぬようにしなければ……

　そう、決意していたときだった。
　邪悪な光が、天使界を貫いたのは。

　そして、倒れた彼女の手をつかむことができず、彼女が天使界から弾き飛ばされてしまったのは……。

　……長いような、短いような回想をしながら、光の泉を抜け。
　光が途切れた先には、暗い大地が広がっていた。

　確かここは、300年前の大戦時に滅びた、ガナン帝国領。
　そういえば、あの日……彼女のささげた星のオーラで世界樹に女神の果実がなったあの日、天使界はこの国の上空を飛んでいたのだという。

　――あの攻撃のせいか、どうやら我ら天使界は、空を漂う機能を失ってしまったらしいな。

　そう呟き、あたりを見まわした。

　300年前、世界征服の野望を抱き、周辺国に次々と攻め入り大戦を起こしたものの……原因不明の攻撃を受け、一夜にして滅びたとされている、ガナン帝国。
　その怨念のためだろうか、未だに空は厚い雲に覆われ、大地は暗い色の魔物や死霊兵が跋扈し、周囲一帯は異様な空気に包まれている。

　……さて、まずはここから捜すべきか、それともここは後回しにするべきか。
　辺りを見渡しながら、そんなことを考えていると、何かを運び、城へと向かう二体の死霊兵を発見した。
　タンカのようなものを抱え、いったい何を運んでいるのか、気になって目をこらす。
　……そこには、傷つき倒れた同胞……動かぬ天使の姿があった。

　――あれは！？

　反射的に翼を広げ、剣の柄に手をかける。
　しかしその時、死霊兵たちの会話が、私の耳に飛び込んできた。

　――また、新しい天使を拾ったぞ。
　――ああ、これでガナサダイさまも喜んで、褒美をはずんでくれるはず……

　「また」「新しい」……それは、いま運ばれている仲間の他にも、城に運ばれた天使たちがいるということを示していて……少し迷ったが、剣から手を離し、死霊兵の後を追うことにした。

　今ここであの兵たちを倒してしまっては、同様に城に運ばれた天使たちの居場所が、わからなくなってしまう可能性がある。
　……せめて、その居場所がわかるまでは、騒ぎを起こさぬ方が得策だ。

　意識のないまま運ばれていく天使に、心の中で謝罪して。
　私は周囲に十分に注意しながら、その死霊兵たちの後を追った。

　しばらくして、死霊兵たちは城の正門にたどりつき……城内に入り、そのまま長い通路を抜け、階段を上り、最上階、おそらくこの帝国の皇帝がいる場所へと、天使を運ぶ。

　そして城の外観より見える、皇帝の部屋の前まで来ると、今度は、その部屋の番をしているのだろうか、豹の頭をし、豪華な装飾のコートをまとった位の高そうな男が、死霊兵の話を聞いて、皇帝の部屋へと入っていき……しばし間があり、部屋より出てきた豹の男は、死霊兵に許可が出た、そう言って階下へと行くよう促した。

　地下牢だ、地下牢だ、と多少浮かれた様な声を出しながら、死霊兵は天使を手に、上ってきた階段をおりていく。

　……私は、豹の男に気づかれないように注意しながら、死霊兵の後を追った。

　階段を下り、廊下を抜けた死霊兵は、おそらくその地下牢へ続くのであろう、バリアに囲まれた大きな階段をめざし……通路と階段へと続く部屋の間にはられた大きな結界を前に、ぴたりと足を止めた。

　――あー、まだだよ。
　――しゃーねーな、ちょっと待ってようぜ。

　そう言って、運んでいた天使をいったん床におろすと、死霊兵たちも床に腰をおろす。
　そして辺りを見回すと、何やら低い声で、ひそひそ話をし始めた。

　――しかし、めんどくせーよな、毎回いちいち許可取りにいくのもさ。
　　　　バリアはってあんだし、なにも結界まではらなくてもいいと思わね？

　　　　途中にも強い魔物いっぱいいるんだし、
　　　　ここに捕まって弱ってる天使相手なら、バリアだっていらないぐらいだろ。

　　　　それかスイッチで結界のオンオフできるようにしてくれればいいのに。
　　　　何もガナサダイさま本人じゃないと
　　　　結界を操作できないようにする必要なんてねえと思うんだけどなー。

　……どこの世界にも、こういう愚痴っぽい奴がいるものだ。
　そう思い、必要な箇所以外、軽く聞き流そうとしていた私の耳に……

　――バーカ、おまえ知らないのか？
　　　　ここにはエルギオスとか言う天使がいるんだよ。
　　　　なんでもそいつってのが……

飛び込んできた信じられない単語に、私は思わず固まった。

　――エルギオス……エルギオスだと……？
　　　　300年さがしていた我が師が、ここに……？

　私が思わぬ事態に、迷っている間に。
　結界は解除され、天使と死霊兵を通すと、すぐに復活し、その身で再び道をふさいだ。

　イテ、イテッ、そう言いながらバリアを抜け、死霊兵たちは地下牢へと続く階段へと消えてゆき……ただの透明な壁となった結界を前に、私は必死で考えた。

　――ここに、エルギオスさまが……我が師が……？
　　　　そして、他の天使たちが捕らわれている、そういうことか……？

　　　　……ならば……ならば、なんとしてでも……助け出さなければならぬ。

　そして、少しずつ事態を整理しながら、策を練る。

　――結界の解除は、一瞬だ。

　後ろについて通り抜けるには時間が足りず……仮に、あれら死霊兵の目を盗み、侵入に成功したとしても……傷ついた師や天使たちを連れて、脱出することはままならないだろう。

　天使たちを救出するためには、なんとしても、あの結界を解除しなければならない。

　……そのためには……そのためには、結界をあやつるという、皇帝に会わなければ。
　そして…………。

　……拳を握り、唇をかむ。
　自ら出した結論、そしてその、醜さに。

　……一瞬、目を見開いて、こちらに手を伸ばす弟子の姿が、頭をよぎった。

　――これは、弟子のためでもある。

　もしも彼女が、他の天使と同様に捕まっているのであれば、今後捕まってしまうのであれば……ここにいることでしか、助けることができぬ。
　そう、これは……彼女のためでもあるはずだ。

　それに、たとえ彼女がここにいないのだとしても。
　捕らわれた同胞を見捨ててまで、自分のことを優先して欲しいなどとは……彼女も決して言わないだろう。

　――きっと……きっとこれが最善の道。これが、もっともいい方法なのだ。

　そう、何度も自分に言い聞かせ……

　――……すまぬ。

……なぜか、そう呟いて。
　私は翼を広げ、城より、暗い空へと身を投げた。

　――数時間後、ガナン帝国城の門の前に立つ、一体の天使の姿があった。

　大きな翼と、心の読めぬ強いまなざしを持ったその天使は、天使界からの貴重な人材として、ガナン帝国に迎えられたという――

――fin

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