いつかのその日

　……３人は今日も眠っている。

　大人しく座席で眠る仲間の姿を見て、天使界へと向かう箱舟の音を聞きながら、ぼんやり私は手元を眺めた。

　そこには、黄金色に輝く、七つの女神の果実。
　結果的に人間界を数々の混乱に陥れてしまった、人々の願いの力を受けて世界樹に実った、天使界の宝物。

　……これで少しは、天使界や人間界も、元に戻るだろうか？

　きらきらと光を放つ果実を目にしながら、私はこれまでのことを思い返していた……。

　……天使の輪と、翼をなくして。
　リッカに助けられ、ニードに誘われ、動かぬ天の箱舟を見つけ、サンディに出会って。
　仲間を得て、力を借り、旅の末、なんとかこの箱舟の力を取り戻し。
　天使界に戻る道のりを進んでいるときは、想像もしなかった。

　……あの美しかった天使界が、あの女神の果実が実った日を境に、ああも暗く荒れ果ててしまっていたなんて。

　天使界に戻ることができたら、案内してあげる……そう約束した仲間が、眠っていてよかった、とさえ思ったものだ。
　どんな姿になっても私の故郷、それに変わりはないけれど……ただでさえ、私から見ても美しすぎる想像をしていた仲間が、その景色……暗い霧と雲に覆われ、荒れ果てた天使界の様子に、衝撃を受ける姿が、容易に想像できたから。
　……もっとも、仮に目を覚ましていたところで、天の箱舟も見えない状態で、天使界をその目に映すことができたかどうかは、わからなかったけれど。

　……だから、天使界で、人間界に散らばった女神の果実を集めるという新たな使命を受け、地上での旅を続けることになり……私と旅を続けてきた影響か、それとも他の理由か、とにかく天の箱舟や、妖精であるサンディの姿が、仲間にも薄々見え始めてきた、そう知ったときには少し迷った。

　天使界を案内する約束だったけれど、うっすらでもこの様子が見えてしまって、がっかりさせてしまわないだろうかと。
　それでも約束は約束だから、ちょっと心苦しくも、全部話すつもりではあったけど……正直、箱舟が動き出して、また座席で眠ってしまった仲間を見て……少しほっとしている自分がいた。

　問題を先送りしただけで、どうにもならない、そんなことはよくわかっていたけれど。
　でも、せめてこの果実を送り届けるまでは、あまり他のことに頭を悩ませたくはなかった。

　……だって、ただでさえ大変なのに。
　苦労をかけて私の旅につきあってもらってるみんなに、そんなに重荷を背負わせるのは、さすがに悪い。

　けれどやっと、果実が七つ、集まった。
　これできっと、少しは肩の荷がおりる。
　そうしたら、きっと……。

　そこまで考えたところで、師匠の、天使界の皆の顔が、ふっと頭に思い浮かぶ。

　……私をさがしに、人間界へ来てくれたという師匠。
　私同様に地上に落ちた、そして地上に様子を見に行ったまま、天使界に戻らなかった天使たち。
　その仲間を、それぞれの師匠を、弟子を心配した、不安げな皆の顔……。

　……そのことを聞いて、できることなら地上にいる天使たちにも会いたい、そう思いながら、果実を集める旅に出たけれど。
　結局、女神の果実をさがすため、これだけ人間界をまわっても、師匠にも、地上に行った他の天使たちにも会えず、その行方もわからなかった。

　……でも、と私は女神の果実を見つめる。

　きっと、どこかにはいるはずだ。

　女神の果実をささげて、また旅に出ることを許されたら……みんなに、わけを話して。
　わかってもらえたら、師匠を、天使たちをさがすために、まだ行っていない町をまわろう。

　未熟な私でさえ、生きていた。
　……他の皆が、無事でないはずがない。

　傷を癒やしているのか、もしかしたら私のように、翼をなくしてしまったのかもしれない。
　それとも、女神の果実や仲間を見つけるまで、戻ってこられないのかもしれない。

　……師匠なら、特に後者があり得る話だ。
　とにかく、責任感の強い人だから。

　一度など、上空から村を見守っていたら、師匠の頭に太陽の光が反射して。
　地面にそれが映り、それを見つけた人間の子供が、真昼のお月さまだ、と喜び騒ぎ、他の子供を呼ぶのを見て……その一連の騒ぎがおさまるまで、師匠は微動だにしなかった。

　その真剣な顔が、その事態にもいつもと変わらず、あまりにまっすぐ立つ姿が、どうしてもおかしくて。
　思わず笑ってしまって、何がおかしい、と照れ混じりに怒られたものだったが……。

　……会いたいな、師匠……楽しかった思い出を振り返って、思わず私はそう呟いた。

　窓の外には、厚い雲がかかりはじめ。
　そろそろ天使界だな、そう思い、席を立ち、果実を手に運転席に向かう。

　もう少し、時間があるのはわかっていたけど。
　一刻も早く、天使界に果実を届けて、皆を安心させたくて。
　少しでも早く降りられるように、準備を整えたかった。

　――着いたら、師匠が帰っていればいいのにな。

　そんな、都合がいいことを思いながら。
　私は先頭車両に続く、扉をくぐった。

　……なにが起こっているのか、わからなかった。
　目の前にのばされた、その腕を見ても。


　――先頭車両、運転席のサンディと、軽く会話をかわしていたら、後ろで急に何かが光って。

　一瞬でその光が強まって、おさまって。
　その光が消えた後には……師匠が……私の師匠、イザヤールさまがいた。

　――なんで、どうしてここに、本当に本物？
　　　　あれ、もしかして女神の果実の力？

　思わぬ再会に、すっかり気が動転して。

　――そういえば私、まだ天使の服に着替えてないけど、怒られない？
　　　　いえ、もしかして既に怒ってる？

　そんなことを考えて、混乱する一歩手前だったものだから、サンディの、この人だれ、という質問にも、すごくおざなりに答えてしまった。

　そんなとき師匠が、一歩進んで来て。

　――果実は私が天使界に届ける。
　　　　女神の果実をわたせ……

　そう言って私に手をのばし……その違和感に、われにかえった。

　……師匠の、様子がおかしい。
　なくなってしまったはずの翼の羽が逆立つ感覚とともに、そう理解して。
　とっさに首を、横に振った。

　「……天使は自分よりも上級の天使にさからえぬ。
　　それがならわしだと教えたはずだ」

　……ちがう、こんなの。
　……私の知ってる、師匠じゃない。

　だって師匠は、こんなに怖い顔で、声で、私を脅す人じゃない。
　私を叱るために、危険なことをしたときに、怖い顔をすることも、怒鳴られたこともあったけど。

　……それでも、こんな、声で、目で。
　感情を殺すような、何も見えてないような、そんな声と目で、私を見る人じゃなかった。

　……感情を……心を、殺す。
　そんな言葉が、思い出の残像と共に頭をよぎり……。

　――やっぱり、おかしい。

　そう、自分の中ではっきりと答えが出て。
　せきを切ったように、思考が動き出し、私の脅えを抑えつけた。

　……果実を、自分が天使界に届ける。
　それだけで、何故、感情を……心を殺す必要がある？

　女神の果実を長く持っていると、危険だと言うならまだわかる。

　けれど、今の今まで、女神の果実を持っていた私に、特別何かが起こったわけでもないし。
　それにここから天使界までのわずかな間、師匠に渡したところで、どれほどの差があるというの。
　……何より、それならそう、はっきりと言えばいい。

　「さあ、果実を私にわたすのだ！」

　さらに腕をのばす師匠の顔を、私は正面から、じっと見つめた。

　……怖い顔。
　だけどその顔には、わずかだけど覚えがある。
　一度、見た。夢でも見た。
　……翼を傷つけ、飛べなくなった天使なんているのか、そう聞いたときに見せた、あの顔。
　ひどく怖くて、けれど、どこか痛そうな……あの顔だ。

　――わたしちゃ、いけない――

　……そう、確信して。
　私は、また、首を横に振った。

　「……いやです」

　「なんだと？」

　対面するその顔と声に、苛立ちが混じる。
　負けないように、最後まで言い切れるように、少し、息を吸って。
　拳を握って、背を伸ばして。
　師匠がそうしていたように、師匠の強さを借りられるように、前を向いて、私は言った。

　「……師匠は、おっしゃいました。
　　守護天使は人間を導くもの。

　　……しかしそれは、願いをただ聞き届けるだけではいけない。

　　相手が悪の道に走ろうとしているのならば、
　　時には厳しい罰をもってそれを止めるのも、
　　守護天使の……誰かを導くものとしての、大事な任務だと。

　　それが、その相手がまっすぐに進むために、
　　後悔を抱えて生きぬための、選択になるのだと……」

　「…………」

　「……今の師匠には、痛みが……迷いが見えます。
　　ここで私が果実を渡せば、きっと……きっと師匠は後悔します。
　　だから……だから私、この果実をわたすことはできません！」

　拳を握ったまま、息をあげないよう、堂々とできるよう、気をつけながら。
　そこまで言い切って、一瞬、間があって。

　ふと、師匠の表情がゆるんだ気がした。

　――師匠

　そう、嬉しくて口にしようとした瞬間、キッと、その目に再び力がこもる。
　あの目。
　痛そうな、つらそうな……底の見えない、感情を見せないようにすることに、力を入れた……あの、目だ。

　「……私に、はむかう気だな。
　　ジャマをするというなら容赦はしないぞ！」

　師匠が、剣に手をかけ、斬りかかる。
　その身体の方向が、剣の切っ先が、自分に向いているのは、わかったのに。
　……私は身動き一つ、できなかった。

　剣が、私を切り裂いて。
　床に倒れて、果実を奪われ。

　……師匠の名を呼ぶ、誰かの声を聞いた。
　聞いたことのない、怖い声が

　――約束通り、果実を私のもとに運べ。

……そんなことを、言った気がする。

　――ああ、やっぱり……

　少なくとも、天使界の誰かの声じゃない、それだけは確かで。
　やっぱり……なにか、なにかあったんだ。
　……わたしちゃ、いけなかったんだ……。

　わかっているのに、まだ、飛びかかれば、奪い返せるかもしれない、そう思うのに、体は動かない。
　……それは上級天使に逆らえない、天使の理のせいなのか、それとも、この傷のせいなのか。

　その後、師匠が、私の名を呼び、別れの言葉を告げて。
　……扉を開けて、飛び立っていった音を、聞いた。

　身体が熱く、風と床が冷たくて。
　……サンディの声が、遠かった。
　ごめん、そう言いたいけど、唇すら動かない。

　少しずつ、遠くなっていく音の中で、奇妙な笑い声と、その声の主が、なにかに命じて、この箱舟に攻撃をしかけたことを……知った。

　……風が、冷たい。
　……寒い。

　……ちょっと、寒いよ。
　窓が、あいている？それとも、毛布を蹴飛ばしてしまった？
　もう、誰か、誰か閉めてよ……

　だから、寒いって……！

　思わず起き上がって、あたりを見渡す。
　……けれど、あたりには、窓もベッドもなくて。

　ただ青い空と、小さな地上だけが広がっていた。

　「……痛っ！」

　痛みの出どころを目で追うと、防具と体に、見事な傷ができていて。
　……待って、私……どうして、こんな傷のまま眠っていたの？

　どういうこと、ともう一度、あたりを見渡し……落ちる天の箱舟と広がる空の姿に、自分の置かれている状況を知り……瞬時に、悪夢のような記憶を取り戻す。
　その記憶に、呆然としたくなったけれど、首を強く横に振って、無理やり、その迷いを吹き飛ばした。

　――何、何なの、私……何をしてるの？
　　　　今は、気を失ってる場合でも、呆然としてる場合でもない！

　自分で自分に腹が立ち、歯を食いしばると、無理やり、空中を泳ぐようにして、箱舟へと向かう。

　……体をひねり、足を動かし。
　強い風の勢いを、強引につかんで、少しずつ、少しずつ、箱舟へと手を伸ばす。

　身に着けていた防具や、腰についたどうぐぶくろが、バタバタと音を立て、その動きを邪魔するけれど。
　翼があったころの、飛ぶ修行をした時の、身体で覚えたその記憶を強引にしぼりだし、再生し……なんとか箱舟に、手をかけた。

　……箱舟の中には、何も知らない仲間が眠ってる。
　みんな、このまま落ちたら、助からない。
　……なんとか、なんとかしないと！

　そして、腰についていたどうぐぶくろの中に、キメラのつばさがあったことを思い出す。
　それを慎重に手に取り、箱舟につけたまま、セントシュタインの姿を思い浮かべ……そして箱舟とつばさから、思い切り、手をはなした。

　――これで、つばさをほうりなげたことに……。

　高くほうりなげたときに効果をあらわす、キメラのつばさ。
　望み通り、風にあおられ、吹き飛ばされた私の視界の中で、キメラのつばさは、天の箱舟を光で包み、飲みこみ……そして箱舟と共に消えた。

　キメラのつばさを使えば、たとえどんな状況でも、やわらかくつつまれ着地できる。
　……それは、何度も経験している。

　――よかった……これで……みんな、だいじょうぶ……。

　「……ちょっとアンタ、なにしてんの！？」

　安心して、せばまり、消え始めた視界の中に、淡い光が飛び込んできた。

　「……あれ、サンディ……箱舟の、中にいたんじゃ……」

　もう半ば色を失った視界の中で、サンディはひどく怒って、私をどなる。

　「なんとか運転できないかやってたのに、
　　アンタが妙なことしてるから、何やってんのか心配で出てきたのよ！

　　なによ、アンタ、自分はいいから他の仲間をってワケ！？
　　そんなの全っ然はやらないんですケド！

　　だいたい、アンタだけ傷ついて、それでアンタの仲間が喜ぶとでも思ってんの！？
　　そんなワケないじゃん、バッカじゃないのアンタ！」

　そう言いながら、私の袖をぐいぐいとひっぱった。

　――…………。

　空が、高く……地面が、近くなる。
　もうすぐ、地上だ、そう、なんとなく思って……

　「……うん……そう……かもね。
　　……でも、ごめん……今は……黙ってて……」

……私は、手を、動かした。

　「！？」

　ほとんど、見えなかったけど。
　感覚で、騒ぐサンディをつかみ……腕の中に、閉じ込めた。

　「ちょっ……なによ……どういうつもり……！」

　「……もう、これぐらいしか……できない……から……」

　もう、目の前は、真っ黒だ。
　意識のせいか、下から吹き付ける風のせいか、音も声も、遠い。

　……けど、この腕の力だけは、ゆるめちゃいけない。

　……だってもう、思いつかないもの、他に。
　私が、彼女を、助ける手段が。

　……私は、こう見えて、天使だから。
　輪っかも、羽もなくたって、丈夫だから。
　空から落ちたって、大丈夫。
　地面にたたきつけられて、その衝撃、全部受けたって。
　……死なないって……わかってるもの。

　「……平気、死なない……から……。
　　心……配な……い…………」

　完全に暗くなる意識の中で、少しでも彼女を安心させたくて、声を出す。
　もうなにも、見えないし。自分の声も、遠いから。届いたのか、届かないのか、わからないけど。

　……意識が闇に沈む、最後の瞬間、

　「バカーーーーーーー！」

　……サンディの声を、聞いた気がした。

――fin

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