たとえ傷つくのだとしても

　――やはり、師匠には何か考えがあった。

　天の箱舟の、三両目。
　食器の置かれた水場を見つめて、私はそう呟いた。

　グレイナルさんの……ドミールの火山に住むかつての英雄である、竜のおじいさんの力を借りて、その背に乗り、闇の竜と戦って。
　里を滅ぼそうとした闇の竜の攻撃から、グレイナルさんに救われて。
　……目を覚ました時には、闇の竜を操る帝国の人たちに捕まっていて……牢獄に、送られた。

　けれど、牢獄にいたアギロさんと、グレイナルさんからもらった帝国の紋章の力を借りて、なんとか脱出に成功し……セントシュタインの酒場まで仲間を迎えに行って、牢獄のボスを倒し、帝国に捕らわれ、長い間その力を奪われていた、天使たちを発見し。

　よみがえった箱舟と、それを運転してきたサンディとともに、傷ついた天使たちを連れ、私たちは天使界に戻ってきた。

　牢獄にいたアギロさんが、サンディのさがし人で、箱舟の本当の運転手だったことには驚いたけれど。
　それより驚いたのは、師匠が天使界に、女神の果実を届けていたということだった。

　あんな怖い、痛そうな顔をして、箱舟から女神の果実を持ち去ったのに。
　つらい思いをなんとか抑えて、師匠がしたことを、長老さまに報告したのに。
　だいたい、理由はどうあれ、あの怖い声の人との約束は……女神の果実をその人に届けるという約束は、よかったのかしら？
　……本当に、キツネにつままれたような、そんな気分で。

　けれど、その……師匠が天使界に届けた女神の果実は、まぎれもない本物だった。
　アギロさんに連れられて、女神の果実を手に、長老さまと一緒に行った、神の国。
　そこで女神の果実を捧げたとき、なんと女神さまが……創造神の娘である、女神セレシアさまが、蘇ったのだから。

　セレシアさまは、私に女神の果実を集めなさい、そう言った張本人。世界樹に姿を変えていたけれど、人間の感謝の気持ちの結晶である、星のオーラの力で蘇ったのだという。

　その後もセレシアさまに、話を聞いて。
　闇の竜を操り、天使たちを捕らえて力を奪っていた悪い帝国、ガナン帝国の城まで、世界を破壊しようとしているというすべての元凶を倒しに行くことになったけれど……それより、私はうれしかった。

　だって、果実は本物だった。
　やっぱり師匠は、何か考えがあったんだって、そう、確信することができたから。

　――箱舟が落ちたときだって、きっと、自分の修行を耐え抜いた私ならば、
　　　　自身を、仲間を助けることができると、信じてくれていたから？

　――牢獄で没収されていてもおかしくない、いや、没収されない方が不自然な荷物が
　　　　そばにあったことも、もしかして師匠がひそかに手をまわしてくれていたから？

　……そんなことを考えながらも、わかってた。
　そんなの、甘い考えだって。
　都合がよすぎる、そんなはずはない、きっと、仲間に話せば、そう言われることもわかってる。

　……天使界に向かう箱舟の中で、これまでのことを全部……師匠のことを、師匠が女神の果実を持ち去った、そう話したときだって、自分のことみたいに怒ってくれたんだもの。

　それに、そうだとしても、起こるかもしれない痛みを放置したことには……変わりない。

　……だけど、わかる。わかるんだ。
　だって、自分のことだから。
　私は、私はただ……師匠をまだ信じていたい、今でも、そう思ってるってことが。

　――師匠、会いたいです。

　会って……話をして……確めたい。
　あなたの考えを、あなたの思いを。

　たとえそれが、どんな形だとしても。
　たとえ師匠が本当に、天使界を裏切っていたのだとしても。

　……自分で自分を、バカだと思う。
　きっと次に会うとき、私は傷つくのだろう。
　そんな確信めいた、予感がしてる。

　……そのためなら、悪く考えた方が、師匠は裏切ったんだ……そう思った方が、いいのだろう。

　師匠もそう言ってたもの。
　天使たるもの、常に最悪の事態を考え、それを回避するために動きなさいって。

　――だけどごめんなさい、師匠。

　私……あなたの教えに背きます。

　やっぱりまだ、信じていたいんです。
　だって私……師匠のことが好きだから。

　……いいですよね、それぐらい。
　互いが互いに、都合よく動けるわけじゃなくても。
　すべてが思い通りにはいかなくても。
　それでも、私たちは師弟で。
　それでも、私はまだ……あなたが好きなんですから。

　涙が、落ちる。
　自分でも、何の涙かわからないけど。

　――ダメだな、こんなんじゃ。

　戦いを前に天使がこれじゃ……また師匠に怒られちゃうよ。
　そう思ったら、余計に涙の勢いがましてきて。
　あー、失敗した……そんなことを呟いて、ちょっと笑って、また泣いた。

　涙が止まるまでそうして、布で顔をふいて、息を吸って、くみたての水を飲んで。

　「……よし！」

　気合いを入れると、車両をつなぐ扉が、音を立てて横に開いた。

　「……もう、行けるか？」

　車両の間から、少し遠慮がちに、ぶっきらぼうにそう尋ねられる。

　……タイミング、ぴったり。
　そこまで見抜かれているのかと、わかってもらえてるのかと思うと、少し気恥ずかしくて……嬉しかった。

　「うん！じゃ、いこう！」

　だから、勢いよくそう答えて。

　「……ありがとね、一人にしてくれて」

　運転席に向かい、横を通り過ぎる時、小さな声でそう言った。
　彼は少し立ち止まって、それから、いつものように後ろについてくる。

　目的地は、ガナン帝国城。
　きっとそこで、捕らわれた他の天使が、師匠が……すべてが、待ってる。

　「いこう、みんな！
　　みんなを……世界を破壊なんてさせない。
　　悪い魔物たちを倒して、天使たちを助けて、全部、終わらせよう！
　　アギロさん、お願いします！」

　「おう！」

　アギロさんの声と共に、天の箱舟は高らかに汽笛を上げ、動き出す。

　待っててください、皆、師匠。
　……私が、絶対助けます！

　そう、心に固く決めて。
　私は拳を、強く握った……。

――fin

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