おわりのひ

　……予感はあった。
　終わるだろう、そう思ってた。

　……たとえそれが、どんな結末だとしても。

　ガナン帝国の城に着き、城門を守る将軍と……かつて箱舟を黒い竜に襲わせ、ドミールの里を襲撃させた鳥の頭を持つ将軍と戦い。
　入り組んだ構造の城を抜け。
　ときに迷い、ときに戻り。

　最上階へと、たどりついて。
　皇帝陛下を守る、そう言って戦いを挑んできた、豹の頭を持つ将軍と戦った。

　――最後まで守りきれず、もうしわけありません。

　戦いの末、そう自分の主人に謝罪して、膝を折り、消えた将軍に、少し悪い気もしたけれど。
　……けれど、私も譲れなかった。

　仲間が大事なのは、助けるべき、守るべき相手がいるのは、私も同じ。

　……それに、たとえどんな理由だとしても、世界を征服しようなんて、破壊しようなんて、まちがっている。

　消えた将軍の主人……皇帝の部屋に入って。
　師匠と皇帝が、そこにいたのは驚いて。
　その声、皇帝の声が、かつて箱舟で聞いたその声だとわかって……思わず駆け出そうとして、仲間に止められた。

　――ちゃんと、話を聞いた方がいい。

　そうだろうか、確かにそうかもしれない、その言葉に迷っているうちに、二人の話が進んでいって。

　……やっぱり師匠は、裏切っていなかった。
　ここに捕らわれた誰かを……きっと天使たちを救うため、裏切ったふりをしてたんだ。

　二人の話で、それがわかって、泣きそうになって……それでも全部の罪が消えるわけじゃない、そう自分に言い聞かせても、師匠を目の前に、喜びがこみあげてきて――反応が、遅れた。

　師匠が皇帝に斬りかかり、反撃され、炎の魔法が師匠を直撃したとき……私は動けなかった。

　私のせいで、私の心が弱いせいで……私が、師匠の教えを、心を殺してでも動くことを、しなかったせいで。
　かけよって、傷を治そうとしても、できなかった。
　すぐそばにいる皇帝の、その魔力が師匠の傷をまだ蝕んでいて、薬草も、回復魔法も、受け付けなくて。

　……私にできるのは、一刻も早く、皇帝を名乗る者を倒すこと、それだけだった。

　必死で、倒した。
　倒れ、それでもなお姿を変え、再び挑んでくるそいつに、力の続く限り、武器をふるった。
　相手が動かなくなる、ただただ、それだけを願って。

　やっとそれがかなったとき、師匠が立ち上がって……ひざをつきながらも、話す師匠に、よかった、まだ生きてた、大丈夫……そう、思って――また、油断した。

　動かなくなった、そう思った皇帝の声が聞こえ。
　ふりかえった、そう自分で思ったときには、突き飛ばされていた。

　師匠の手が、腕が伸びて、師匠の足が地面を蹴って、師匠の翼が広がって、剣が宙を舞って……
　まるで時間が一秒ずつ止まったかのように、ひとつひとつが、ゆっくりと。

　……時間が、私の視界が元に戻ったのは、私がしりもちをついて、武器が……皇帝の、あの男の槍が、師匠の身を貫いた、そのときだった。

　地面を蹴って、師匠にかけよる。

　けれど、そのとき、師匠の体からは、驚くほどの血が床にこぼれていて……もう、光に包まれていて。
　……すぐに、わかってしまった。
　信じたくない気持ちとは、裏腹に。
　――もう、ダメだと。

　「無事か……？」

　立ちつくす私の前で、師匠の口からもれた言葉が、それだった。

　……そんなこと、そんなことはいい。
　黙ってくれ、腹から血を流して、出てくる言葉が無事かって、私の心配って、そんなどころじゃないでしょう、そう言いたいのに、真剣な師匠の目に、うなずくことしかできなくて。

　「そうか……よ……かった」

　なにもよくないのに、なにもできないのに。
　いや、いやだ、いかないで、死なないで。
　私のためなんかに……こんな、教えも守れない、愚かな弟子のために、死んだりしないで。

　そう叫びたいのに、声も出ない。

　「後のことは……た……のむ。
　　天使たちを……そして
　　あの方を……わが師匠を救い…だし……」

　そう、最後まで、痛そうな顔をして。
　光に包まれて、消えていく師匠に、なにも……なにもできなかった。

　その光さえも、すぐにかき消える。
　師匠の武器も、防具も、抜けおちた、散った羽すら、もう、どこにもない。

　それなのに、動けない。ただその場所を見つめることしかできない。
　もうなにもない、ここにいたって、ここを見てたって、しかたがない。
　……そんなの、わかってる。

　だけど、動けない。

　……どうして、どうして。

　どうして、こんなことになる。
　どうして、師匠が死ななければならない。
　私なんか、私なんかどうだってよかったのに。
　最後まで、痛い顔の、苦しい顔のままで。

　どうして、師匠、どうして……。

　何度も何度も、問いかける。
　サンディがなにか言ってるの、わかるのに。
　だけどそれも、届かない。
　仲間が、声も出さずに見ていてくれるのがわかるのに、何も言えない、笑えない。

　しばらくそこで立ちつくして、何度も何度も、師匠の名前を、心の中で呼んで。
　何度も何度も、師匠に、自分に尋ねて……
　……息をのみこんで、踵を返した。

　いいのか、扉に向かう途中、そう聞かれて……歯を、食いしばる。

　――……わかってる。
　　　　それが優しさだってわかってるけど、言わないで。

　だって、我慢してるんだから。
　ぐっと、ふるえるノドに力を入れて。
　強引に、嗚咽をせき止めて、呟く。

　「……今は、いい……助けなきゃ、いけないから。
　　……皆を助けたら、そのとき……そのときで、いい」

　……師匠が、言ってた。
　誰かを導くには、助けるには、心を殺さなきゃいけない、そういうときもあるって。

　……私が、弱いから。
　私が、それを守らず、背いたから。
　……だから、師匠は死んだ。

　……悪いのは、私。

　だから……だから、せめて。
　せめて私……師匠の最後の願いを、望みを、叶えたい。

　だって、見てきた、ずっと。
　守護天使として、地上で旅をしてきて、死んでしまった、身体を失った、魂を。
　死んだら、どんなに願っても何を望んでも……一人じゃ、何もできない。

　だから、叶えなきゃいけないの。
　師匠の願いを、師匠の望みを。
　そのために、動かなきゃいけないの。
　痛いけど、苦しいけど、それでも心を殺さなきゃ、いけないの。

　だってそうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ、私、きっと、ずっとここで動けない。
　泣いて、苦しんで、痛がって……ここで、立ち上がれなくなってしまう。
　だから……今は、殺すの。
　心を、愚かな自分を。
　……今の私が、師匠にできるのは、それぐらいしか思いつかないもの。

　ふりかえらず、歯を食いしばる私に、仲間が、後ろから近づいて、

　「……よし、いこう！」

　ぐっと、肩をつかんで、そう言った。
　すごく、力強く。

　だから、私も。
　私も、力強く、うなずいた。

　まだ、前は見られないし、ノドがふるえて、ひきつってるけど。
　……でも、足は、動くから。
　進まなきゃ。

　私には……それしかできない。
　それに……私には仲間が、こんなときに、そばにいて、気づかって、力を、気持ちを分けてくれる……仲間が、いるんだから。

　……だから、進まなきゃ。叶えなきゃ、師匠の願いを。

　まだ、終わらない。
　天使たちを助けるまで……終わりじゃ……ないんだから。

　そう決めて、足を進め。
　魔物の消えた、城の通路。その通路を抜け、皇帝のつかさどる結界の消えた、下り階段へと身を投じた。

　捕らわれの天使がいる、深い深い、憎悪に満ちた、牢獄へと……。

――fin

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