星に願う

　階下でがたがた、と音がする。
　……もう、そんな……宿や酒場の、切り替えの時間か。

　――では、そろそろ寝ますね。また、明日……。

　私は空に向けてあいさつすると、なるべく音をたてないようにして、廊下の窓を閉めた。

　……あれから、どれぐらいの月日が流れただろう？
　あの日から、こうして夜空を見る習慣がついてしまった。

　……あの日、ガナン帝国の城で、皇帝と戦い……師匠を、失った……あの日。
　地下に捕らわれた天使たちを助けるため、師匠との約束を果たすため、私たちは結界から解放された地下牢獄へと向かった。

　捕らわれ、力を吸い取られていた天使たちを解放し、さらに進み。
　奥の奥、地下牢獄の最深部の、大きな部屋へとたどりついた。

　あまりにも深く、そして厳重な魔術の施されていたその部屋。
　もしかしたら、なにか呪いがかかっているかもしれない、もしも罠だったとしても、天使の私は呪いに強いから……そう仲間に頼んで、部屋の外で待っていてもらうことにして。
　長い長い間、捕らわれていた、彼の天使を解放した。

　そして、彼が、彼こそが……人間を恨むあまり、滅んだ帝国をよみがえらせ、世界を滅亡へと導こうとしていた存在……師匠がずっとさがしていた、イザヤールさまの師匠……エルギオスであると、知ったのだ。

　何を思っていいのか、わからなかった。
　……もしあのとき、たとえ上級天使に逆らえぬという天使の理がなかったとしても、人間は滅ぶべきだ、そう言って襲ってきたエルギオスと、まともに戦えたか、動けたかどうか……今でも、自信がない。

　どちらにせよ、私は敗れ、エルギオスは世界を滅ぼすため、地下牢獄より飛び立った。
　死してなお、真実を伝えんと、彼をずっとさがしていた、かつての恋人、ラテーナの到着を待たずして。

　……私は一度、天使界に戻った。
　自分のケガもひどかったし、捕らわれの身になっていた天使たちは、ずいぶんと弱っていたし。
　それに何より、考える時間がほしかった。
　いろんなことを、少しでもはっきりと認識するための……落ち着くための時間が。

　……天使界に戻り、師匠のことを伝え。
　ラフェットさまから、役目を終えた天使は星になるのだと聞き……しばらく、厚い雲に覆われた空を一緒に見つめて。
　……そして、世界を創った創造神、グランゼニスの娘、女神セレシアさまより、新たな女神の果実をさずかった。
　……エルギオスを倒すため、上級天使には逆らえぬという天使の理から外れるため……それを食べて人間になりなさい、という言葉とともに。

　……サンディは、反対した。
　仲間の意見も、いろいろあった。
　……私も、ためらいがなかったと言えば、嘘になる。

　人間になってしまえば、サンディやアギロさんが、生まれ育った天使界が、天使の仲間たちの姿や声が、二度と、わからなくなる……。

　……嬉しい、はずがない。

　だけど、どこかでわかってた。
　何を言われても、何を思っても。
　女神の果実を前にした時、もう選択は、それしかないって。

　私は、天使の仲間が、天使界が大好きだ。
　そして、人間と、人間界も、同じぐらい大好きだ。
　……守るためには、それしかない。

　……それに、決めていたもの。
　師匠が消えてしまった、あのときに。
　私、絶対、師匠の願いをかなえようって。

　天使を助けてほしいって。
　……師匠のお師匠さまを、頼むって。

　私は、師匠が大好きだから。
　師匠はもう、自分では……願いを、かなえることができないから。
　だから、私が……私がやらなきゃ。
　それぐらいしか、私にできることはない。
　そうじゃなきゃ、私……終われない。終われないもの。

　果実を口に含み、ほとんど味がわからないまま、噛んで、のみこむ。
　どうやら人間にはなったみたいだったけど、まだサンディや、アギロさんや……箱舟が見えて、少しだけホッとした。
　……見えなくても運んでもらえるということは、仲間に聞いてわかっていたけど……やはり、見えないまま空を運ばれるのは、少し怖い気もしたし。

　そして、私は仲間とともに、エルギオスが作りだした絶望と憎悪の魔宮に行き、彼と戦い……戦いの後、現れたラテーナに真実を伝えられたエルギオスは元の姿と心を取り戻し、ラテーナと、そして役目を終えた天使界の天使たちとともに、星となった。

　……今でも、わからない。
　本当に、あれが正しいことだったのか。
　本当に星になることが、皆にとって幸せなことなのか。

　再び世に現れた女神の果実を食し、天使としての力を取り戻した、今も。
　サンディやアギロさんに再会し、女神セレシアさまに謁見したときも、やはりあの結末には、疑問が残って。

　……だから、夜になると星空を見上げてしまう。
　晴れた日も、雲の日も。
　幸せですか、元気ですか。
　そう、答える声のない空に向かい、いつも話しかけてしまう。

　幸せだといい、そうであればいい。
　……そうでなければ、あんまりだもの。

　いつか、その疑問が解ける日が、来るのだろうか？
　私にも、星の声が届く日が、星の輝きが伝える意思を、理解できる日が来るのだろうか？

　……そういえば、この宿のカウンターにいるラヴィエルさんは、いつも星を眺めていたな……自分の部屋に向かいながら、そんなことを思い出す。

　確か……星がまたたく日を待っている、そう言っていた。
　……一度、くわしく話を聞いてみよう。

　もしかしたら……星の声の聞き方を、知っているかもしれない。
　また……眠って、目が覚めたら……そう心で繰り返しながら、扉を開ける。

　……空から、よく知る誰かの声が、聞こえた気がした。

――to be continued

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